映画が活動写真とよばれたその黎明期の時代劇を席捲した阪東妻三郎も、片岡千恵蔵も、市川右太衛門も、嵐寛寿郎も、林長ニ郎といったあの長谷川一夫も、みんな歌舞伎の大部屋出身だった。檜舞台を踏む歌舞伎役者から、土の上で芝居をする土役者になったと蔑まれたものである。敗戦後、歌舞伎の世界から撮影所の門をたたいた大谷友右衛門(中村雀右衛門)も、中村錦之助も、大川橋蔵も、そして市川雷蔵も、言うところの御曹司たちだった。この事実は、映画が娯楽産業の王者となった証しでもある。

 市川雷蔵が、上方歌舞伎の重鎮市川寿海にのぞまれて養子になって雷蔵を襲名したのは1951年のことで、中村錦之助と同じ舞台で武智鉄二の薫陶を受けている。これも乞われて大映入りしたのが、54年だが、いらい十六年間に153本の作品に出演、日本映画の黄金時代を支えた。

 森一生監督の『新源氏物語』で光源氏を演じたのは61年で、ニヒルな持味を生かした独得の官能美で、これまた女性ファンを魅了した。八年後に三十七歳で夭逝することを思えば、文字通り光輝いていた時代の光源氏だ。(「光源氏男くらべ」矢野誠一 オール読物08年10月号より)

 

 

 

 

 

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