京洛の秋、この言葉はすごくロマンチックに私達の耳に響きますが、その秋の景色濃い京都撮影所には、目下これも王朝の夢を織り込んだ幻想的な物語『新源氏物語』が撮影中です。

 光源氏の雷蔵さんか、雷蔵さんの光源氏か、とまで云われ、その美しさと、品の良さは当代随一と万人に認められている事はご存知の事でしょう。

 今日は『新源氏物語』撮影の幾つかの話題を追って皆様にご紹介し、この作品の観賞手引としてお役に立ちたいと思います。

 昔を今に清涼殿セット

 或る日。第七ステージは、この物語の舞台で最も重要な清涼殿のセットが、実物とまったく同じ様に組み立てられている。私事で大変恐縮ですが、過日京都御所を見学した時、案内された清涼殿に古き昔をしのんだが、今このセットを目の前にして、当時はかくありなんと思わずため息が出たくらい。調度品、襖、屏風、衝立、御簾すべてが色美しく、目を見はらせるものばかりです。

 そうですね撮影の方ですか、光源氏と藤壺を帝がお召しになり、帝なきあと、その子(実は光源氏の子)をこの二人にたくすシーン、雷蔵さんは真紅の衣冠束帯、藤壺の寿美さんは十二単衣、と云う正装です。又、この衣裳が大変です、雷蔵さんは、衣裳部屋で着て来ますが、ほら、後に長く布を引くでしょ。あれを全部たぐって、刀の所にひっかけてセット入り、所が女の人の衣裳は全部セットへ持って行って着ます。十二単衣の下には緋の長袴、これではいくらなんでも外は歩けませんものね。

 三人掛かりで次々に着せても、たっぷり十五分はかかります。そんな間にも、ライトの位置や、カメラの位置が、どんどんきめられて行きます。森監督は、入念に演技指導をされますが、撮りだすとテスト一回で本番という、あっと云う間に撮り上げるスピードぶり。さて雷蔵さんはと云うと、セットの隅で出番待ち、そこへ帝に扮した寿海さんがおいでになって、なにか楽しそうに話し出しますと、その様子を見逃さないのがテレビのカメラマン。三台のカメラが一せいに廻り、その目まぐるしい事。とにかく一人動くのにも大変です。普通の時代劇とは全く違って・・・本番になれば冷房装置を消してしまい、その暑い事。雷蔵さんは映画になれないお父様の事をあれこれ気をつかわれる。スタッフは普通作品より倍も多いため、セットの中はライトと人息きれで長居は無用と云いたい所です。