新選組を描いた映画は数多くあるが、なかでも、昭和三十八年(1963)に作られた、三隅研次監督、市川雷蔵、城健三朗(のちに若山富三郎と改名)主演の『新選組始末記』は、異色作としれ知られている。まず、この映画は、「新選組残酷物語」と呼びたいほど残酷描写が凄まじい。おびただしい数の人間が斬り殺されてゆく。冒頭、新選組に殺されたとされる男が、無残にもはりつけの形でさらしものになっている。

 死体から始まった映画は、最後、池田屋騒動でクライマックスを迎える。池田屋にひそかに集まった勤皇の志士たちを、近藤勇(城健三朗)以下、新選組が襲撃する。狭い室内で壮絶な斬り合いが始まり、勤皇の志士たちがひとりひとり血まみれになって斬り殺されてゆく。追いつめられた志士は自らの刀を腹に立てて悶絶しながら死んでゆく。

 新選組の勝利で映画は終わるが、あまりに残酷な殺しの場面が続くのでカタルシスはない。しかも、近藤勇もまた最後は勤皇方との戦いに敗れ、斬首されてゆくという史実をわれわれは知っているのだから、いよいよ後味は重い。

 この映画が残酷なのには理由がある。決してただ残酷のための残酷ではない。この映画は、新選組を徹底して殺人集団、いまふうにいえば、テロリスト集団としてとらえている。といって彼らを悪役に仕立てているわけでもない。幕末の動乱期に、好むと好まざるにかかわらず、こういう殺戮組織があったという事実をクールに描いている。近藤勇や沖田総司(松本錦四郎)を敗残の英雄として美化することもないし、土方歳三(天知茂)をことさら悪役に仕立てることもない。

 新選組は文久三年(1863)に近藤勇、土方歳三らによって作られた佐幕派の武装集団。会津藩京都守護職の支配下に置かれたが、正統的な幕府の組織ではない。一種の自警団である。それだけに、アナーキーで、いったん暴走し始めるととまらなくなる危険をはらんでいる。

 彼らは正規の警察組織である与力さえも斬り殺してしまう。勤皇方には新しい日本を作ろうとする夢があるが、新選組にはそれはない。旧体制を守ろうとする守旧派である。

 凄まじい拷問シーンもある。勤皇方の黒幕、古高俊太郎(島田竜三)を捕らえた土方は、彼の口を割らせ、策謀を聞きだそうと拷問にかける。逆さ吊りにして竹刀で叩くなどは序の口。五寸釘を足に打ち込んでロウソクをたらす。さすがにその直接描写はないが、血まみれになって死んでゆく古高俊太郎の姿は、幕末という時代の残酷さを語って余りある。幕末とは、暗殺、テロが日常化した時代だったといってもいい。勤皇と佐幕、武士同士の血なまぐさい内戦である。

 外部の敵に対してだけではない。内部の敵に対しても殺戮が行われる。隊内の粛清。上級隊士であり、新選組結成時の十三人のひとり新見錦(須賀不二男)が、隊規に反したとして、土方らに切腹を迫られる。隊内の権力闘争に負けた結果である。隊士たちの前に引き出された新見は、無理矢理、腹を切らされる。新しく入隊したばかりの山崎烝(市川雷蔵)が、度胸だめしとして介錯をつとめさせられる。腕のたつ山崎は一刀のもとに新見の首を落とす。

 このシーンには、隣の寺で開かれている狂言のにぎやかな音がかぶさる。残酷な死と笑いの狂言の無残な対比。土方は、切腹を見ながら、隣にいる沖田総司に「あとで狂言を見に行こう」と笑顔を浮かべながら話しかける。沖田もそれに笑って応じる。殺戮が日常化してしまった戦闘集団の異様な心理状況が鮮烈に描かれる。

 近藤、土方が権力をにぎってゆく。そして、水戸天狗党くずれの局長、芹沢鴨(田崎潤)も追いつめる。粛清、一種のクーデターである。芹沢鴨が女(藤原礼子)と寝ているところを土方らが不意打ちして暗殺する。芹沢といた女までもあっさりと殺してしまう。

 さすがに、まだ入隊したてで多くの血を浴びていない山崎は、土方らの強引なやり方に衝撃を受け、近藤に「これが侍のやることか!」と抗議する。山崎は、はじめて近藤に会ったとき「あんな美しい目を見たのははじめてだ」とその人間に惚れこんで入隊した。それが裏切られた。「あんたを信じて新選組に入ったのに、恥知らず!」と批判する。

 しかし、修羅場をくぐって生きて来た近藤にとって、こんな青臭い山崎の抗議は児戯に等しい。「己れひとりが正しいと思うな」と冷ややかに突き放してしまう。

 ここには善悪の差があるのではない。あるのは、殺戮を日常化している者とそうでない者の差、修羅場をくぐって来た者とそうでない者の差があるだけだ。やがては、市川雷蔵の山崎も、近藤や土方のように血まみれてゆくのは目に見えている。だから彼は、恋人(藤村志保)に「俺は武士の世界から離れられない、憎んでくれ」と書き置きを残して去ってゆく。

 原作は「父子鷹」「勝海舟」で知られる時代小説作家の子母澤寛。彰義隊の隊士として戦った祖父を持つ。旧幕臣びいきなのはそのためだろう。「新選組始末記」(1928年)は、旧幕時代の生き残りに丹念に取材して書き上げた実録。新選組に関するもっとも信頼のおける書として、歴史学者服部之総が高く評価した。

 近藤勇は武州の農家の生まれ。農民の子供が武士を志した。その屈折した心情が、この映画でも大きな主題になっている。農民の子供の近藤勇は、武士にはついになれなかったのではないか。だから -、後味は、あくまで苦い。

 脚本はのちに作家に転じ直木賞を受賞する星川清司。

                                                                             

 (05年10月平凡社刊)