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見果てぬ夢の映画スター

顔大短身。

 というのは、読んで字の通り、顔が大きくて身丈が低い。ということなのですが、これは『安吾「日本史談」』の「源頼朝」に出て来る言葉です。頼朝という人の体形がそうだったらしい。

 顔大短身という漢文的表現で充分なのですが、それをもう少し口語調にすると、顔ばっかりデカくて、小ぶとりで寸づまり、ということになり、なるほど、そうした体型ならば、思い出す時代劇スターは沢山います。千恵蔵、右太衛門、勝新、長谷川一夫、大河内傳次郎、阪妻、嵐寛、と、思い出すままに並べてみれば「顔大短身」こそが、日本の時代劇スターの正統といえる系譜なのではないか、という気さえしますが、「短身」はともかく、「顔大」がスクリーンで好まれたのは、顔がデカイほうが、昔の暗い照明の舞台では見映えが立派だという伝統から来ているのだ、という説を、たしかマキノ雅弘が言っていたように覚えています。

 しかし、戦後生まれの私などの眼から見るまでもなく、大正生れの私の母などからすでにそうだったのですが、クーパーの顔小長身(というか、長足)が素敵!という女学生たちにとって、顔大短身の時代劇スターは、メンコでもブロマイドでもいいけど、奴凧なり、押絵のハゴイタの中に収まってたら?という存在だったのは確かです。

 もちろん、アメリカにもヨーロッパにも、ジャン・ギャバンや、ジェームス・キャグニーという顔大短身のスターはいますが、アジアの女学生は、幼稚な中学生ではありませんし、少しインテリ気取りですから、アラカンや阪妻のデカイ顔は野暮ったいし、ましてや、小デブの丸顔が眼張りバッチリの長谷川一夫なんて、てんでぞっとしないのとは全然違って、顔が大きくて短身でも、違うのよ、粋じゃないの、ぐっとくる、というのが当時の女学生の意識だった、と、大正生まれの母親は申しておりましたのを、思い出します。

 そうした「反・顔大短身」派の映画ファンにとっても、市川雷蔵は人気があった、ということを書きたかったのです。

 言うまでもなく、雷蔵という映画スターの魅力の大きな部分をしめるのが、あの美しく、ほっそりと姿の良い立姿です。デビューから15年間、158本もの出演作(これは驚異的かつ殺人的な数字です)のなかで実に様々な役を演じているにもかかわらず、多くの人は、雷蔵と言えば、眠狂四郎か机竜之助の黒紋付きの着流し姿を思い浮かべるでしょう。ヤクザ風のわざと細身に仕立てた微塵縞の着流し姿の美しさ、と言うと、ほとんどの男は、鶴田、高倉の名前を出すところでしょうが、私はあえて、池部良、田宮二郎、そして戦後の顔大短身スターの代表、勝新太郎を挙げます。しかし、です。勝新はむろん、論外ですが、黒紋付きの着流し、となると、この二人も決して雷様にはかないません。千恵蔵の紋付き着流しは、姿がいいのですが、雷蔵には負けますし、大河内の白紋付き(?)着流しも異様さが捨てがたい魅力とは言え、美しいというものではなく、まして、仲代達矢、平幹二朗、田村正和などは、無様で、お呼びじゃない。

 しかし、さらに、雷様にはそれ以外の衣裳がぴったりと美しい姿に決ることも言うまでもないことなのですが、『若親分』シリーズで雷蔵が正装の海軍軍服から、ヤクザ・スタイルに変身という、ファン垂涎のサーヴィスで見せた着流し姿は(あえて言うのですが)ファン・サーヴィスにとどまっていたように思えます。

 もっといろいろ、書きたいことは、まだまだあるのですが、軍服姿(『陸軍中野学校』では、陸軍でした)が禁欲的かつ官能的に美しく決る日本人の映画スターは、雷蔵の他には『ラ・バタイユ』の世界的スター早川雪洲を数えるのみでしょうし、アラン・ドロンより2歳年上の雷蔵が、早川雪洲と同時代に生れていて、ハリウッドに行っていたら、と、つい仮定の空想をしてしまいもするし、さらに、『チート』のあの東洋のサディストの役を雷蔵がリメークしたら、とか、さらには、ジョン・ローンの『ラスト・エンペラー』も『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』も(なにしろ、ドラゴンなのですからね、龍と雷は、水と雨によって強く結びつけられています)、ありゃぁ、雷蔵の役だよ、と、私は思うのです。ジョン・ローンのように、雷蔵は甘えたフヌケ顔をしていませんし、中国服だって凄く似合うのは『陸軍中野学校』で証明ずみですし、ダンスだって(これは、実はあまり上手くなかった)、大映で奴隷なみに働かされずに、時間があれば、円月殺法くらい様になったはずですし、殺し屋の役は、もちろん、はまり役だ、と、見果てぬ夢がふくらみます。

 市川雷蔵は、そういう映画スターなのです。

(金井美恵子 映画祭公式パンフレットより)