5月27日の5時と7時半の2回、東京産経ホールで慈善ショー「橋幸夫の夕」が催されました。小児マヒで苦しむ子供たちのために、「鉄の肺」を買う資金を募集しようと国際婦人協会が主催したのですが、無料出演の橋さんをはじめ、京都からかけつけた市川雷蔵さんや、林家三平さんらが出演して、超満員の観客をわかせました。

註@木田ヨシ子: きだよしこ 1940年1月18日神戸市生れ。ビクター専属。デビュー曲「黒いオルフェ」が3万枚を超えるヒットなった女性歌手。「遥かなるアラモ」や「太陽がいっぱい」などのスクリーンミュージックを歌っていた。

註A山中みゆき: 戦前から戦中に活躍した日本の歌手。代表曲は「ほんとにほんとにご苦労ね」。戦後は実娘が芸名を引き継ぎ、吉田正門下で「高原に咲く恋」や橋幸夫、和田弘とマヒナスターズとのデュエット曲などを残した。さらにその妹も山中沙南子の名で歌手としてデビューしている。

(平凡 61年8月号) 

 

 

 

 

 

 

 小児マヒの流行シーズンで救済対策が叫ばれているおりから、ビクターの人気歌手橋幸夫が“鉄の肺”の設備金募集に一役かった、慈善ショー「橋幸夫の夕」が二十七日夜五時、七時半の二回、東京大手町・産経ホールで行なわれた。

 これは、小児マヒ救済運動を推進中の日本国際婦人協会(主催者)に橋が無料出演を申し入れ、厚生省、日本ビクター、日本テレビ、日刊スポーツ新聞社の後援で実現したもの。構成演出は花柳啓之で、文字通り橋のワンマン・ショーとなった。

 まず橋がおなじみの和服スタイルで登場。“潮来笠” “あれが岬の灯だ” “木曽ぶし三度笠”とヒット曲を歌い、客席からの拍手につつまれる。舞台が進んで、黒紋付きにハカマといういでたちで友情出演の大映・市川雷蔵が登場。橋の歌で“花の白虎隊”の素踊りを披露。林家三平を加えて三人の対談がはずむところで、おりから六月二十七日に世界フライ級選手権戦をひかえたプロ・ボクシングのホープ関光徳選手もかけつけ、橋に花束を贈り、力強く抱負を語る一幕があった。

 この間、橋の希望で招待された小児マヒの子供たちもステージに声援を送っていた。なお、このショーの純益により購入された“鉄の肺”は厚生省を通じて、小児マヒ救済機関に贈られる。

註@関光徳:(せきみつのり 1941年1月4日 - 2008年6月6日)は、日本の元プロボクサー。元OBF東洋フェザー級王者。横浜光ボクシングジム初代会長。東京都北区出身。

註A鉄の肺:頭部を除いて体全体を 金属製の気密タンクですっぽりと包み、一定の間隔で空圧を変えることで肺呼吸を助ける装置。重さ350キログラム以上であり、1960年代初めにポリオワクチンが普及して以来、利用者は激減している。

(05/28/61 サンスポ・大阪版)

 

 

 

 

 

 

 橋幸夫の「鉄の肺設備基金募集・慈善ショウ」が、27日夜産経ホールで催された。出演者はすべて無報酬。市川雷蔵も友情出演し、非情な盛況だった。(写真は左から木田ヨシ子、山中みゆき、橋、雷蔵、吉田正)

(週刊明星 number24 6/18/61)