ワイズ出版(11/99)

 

 八月十二日(火)

 午後、十二時半から、妻と、大映本社へ『炎上』の試写を見にゆく。「金閣寺」の映画化である。シナリオの劇的構成にはやや難があるが、この映画は傑作というに躊躇しない。黒白の画面の美しさはすばらしく、全体に重厚沈痛の趣があり、しかもふしぎなシュール・レアリスティックな美しさを持っている。放火前に主人公が、すでに人手に渡った故郷の寺を見に来て、みしらぬ住職が梵妻に送られて出てくる山門が、居ながらにして回想の場面に移り、同じ山門から、突然粛々と葬列があらわれるところは、怖しい白昼夢を見るようである。

 俳優も、雷蔵の主人公といい、鴈治郎の住職といい、これ以上は望めないほどだ。試写会のあとの座談会で、市川崑監督と雷蔵君を前に、私は手ばなしで褒めた。こういう映画は是非外国へ持って行くべきである。センチメンタリズムの少しもないところが、外国人にうけるだろう。

週刊新潮 昭和三十三年十月号〈日 記 (七)〉抜粋