又、京都のごく親しい知人の方にもいろいろ伺ってみました。

 問 「故人の人となりと云うか、どんな感じの方であったか、おうかがいしたいのですが」

 答 「そうですね。竹を割った様な、正直で几帳面な方でした。役者さんのお奥さんとしては、今後、この様な方は出ないと思います。負けず嫌いな面もあるんでしょう。それにえらいと思いますのは、一にも主人のため、二にも主人のためを考える方でした。お客様の多いのも、寿海さんの心がけがいいのと、江戸っ子気質のお奥さんのためでしょう」

 問 「雷蔵さんにはどんなお母様でしたか」

 答 「養子に来た当時は、一にも稽古、二にも稽古と大変きびしい方で、それも皆有名な師匠につかせるといった具合で、十七ヶ所もお稽古に通わせておりました。その間、お小遣いもあげておりました。その反面、舞台に出る時、地方に出る時など大阪の駅まで送っていったり、映画に出る様になり、人気が出てくると、顔には出しませんが、内心嬉しいらしく、よく映画を見に行っておりました」

 問 「雷蔵さんは、お母様に対してどんなでしたか」

 答 「親孝行でしたよ。今持っている車は、自分のためでなく、親のために使っている様ですし、時々仕事の合間をみては伏見(寿海丈のお家)の方へも来ておりました。仕事の関係で、来たくても中々来られないんでしょう」

 問 「お母様はほんとうに縁の下の力持ちの様な存在だったわけですね」

 答 「そうですね、親孝行な雷蔵さんに対して、お母様は子供孝行とでもいいますか・・・」

 問 「最後になにか、今後の事について一言御座いましたら」

 答 「雷蔵さんが、はやくお嫁さんをもらって下さって親子でいっしょに住んで下さる事です。それも親孝行なお嫁さんをもらってくれる事が第一条件です」