去る五月中旬、名勝の地、高松市で市制七十周年  -1890(明治23)年2月15日市制施行-、市民会館落成の記念祝賀会が行われ、大映スターの大挙出演があり、雷蔵さんは十二日昼・夜二回にわたり、清元「お祭り」を踊られました。

 会では、この機会に近県会員さんとの茶話会を計画。雷蔵さんの心よい御承諾を得て、実現致しました。

 こうしたローカル的な会合は、昨年暮、岐阜大映館落成の折に続いて二度目のことです。

 

 
 その夜、再び高松港は人々々。美しく海の中に点滅するネオンさえももの悲しげに、去り行く人への別離を惜しむかの様 −。やがて蛍の光のメロディーがながれ、船が静かに埠頭を離れ始める。みだれる五色のテープもその端をにぎる人々の心が伝わるのかの様に、ゆれ動く。小さな音をたてて切れるテープ、雷蔵さんさようなら − 又、来て下さいね!細い桟橋を駈ける会員さんの声が、何時までも何時までも続く −。手を振ってこたえる雷蔵さんもしばし甲板上に −。

 もう人影も見えなくなった。波にのって、雷蔵さんまた来て下さいね − と声だけが届く。これは空耳だったろうか。船は穏やかな海上を一路神戸にむかう −。


 以上、高松の模様をご紹介しましたが、皆さん楽しく読んで頂けましたか。尚、会では今後もこの様な機会には極力“会合”を計画する積りでおります。

 では最後に、茶話会準備にお骨折下さいましたお世話役の皆様に感謝しつつ、筆をおきます。


高松市民会館 1961(昭和36)年、高松市役所隣接地で開館。2000人規模のホールは当時の四国随一であった。以降、長く市民の文化・芸術の中心地として親しまれ、幼稚園の発表会からアーティストのコンサート、学者の講演まで様々なイベントが開催され、入場者数は閉館までに1000万人を数える。また、高松交響楽団や香川市民劇場などの地域文化活動が数多く開催された当会館で多くの文化人が育った。

 しかし、近隣地域で新しいホール完成が進むと、それらに比べて施設設備が劣り、老朽化も目立つ高松市民会館にかわる新しいホールの建設が検討されるようになる。1994年、サンポート高松に新ホールが建設されることが決定し、その後高松市民会館は2004年3月をもって閉館した。(Wekipediaより)