か い せ つ

 創立以来十八年、日本映画に数々の輝かしい業績を残す大映が、その間何度か企画しながら今日まで実現をみなかった『忠臣蔵』が、全映画ファン注目のうち今年初頭から歴史的な製作を開始、三ヶ月にわたって数々の話題をまいて、今般堂々の完成をみるにいたりました。

 いうまでもなく『忠臣蔵』は、日本人の精髄ともいうべき不朽の“国民のドラマ”であり、広く大衆に親しまれているものだけに、映画の題材としてはまたとない好材料といえましょう。大映ほどの陣容を持つ会社で、これほどの題材を見送って十八年を過したという事実は、映画界の不思議とされておりました。もちろん義士銘々伝ないし外伝的なものは何度も作られていますが、本格的な『忠臣蔵』は、作るからには、自他共に許す決定版をと、配役その他、最高の条件が熟すまで満を持していたものです。

 今回、大映スコープ・総天然色によって、文字通りのオールスタアを網羅して、十八年の宿願を達成する『忠臣蔵』は、『羅生門』以来、世界的傑作を発表しつづけてきた大映の誇る全機能を集中して製作されたものだけに、配役、内容、興味、規模と、あらゆる点で未曾有の超大作の名に恥じないものであります。

 その大要を次に示してみますと、スタッフ、キャストは別掲のように厖大なものですが、中でも特記すべきことは、映画生活三十余年の長きにわたる長谷川一夫が、今度初めて大石内蔵助を演じることと、三十二年度ブルーリボン大衆賞に輝く渡辺邦男監督が、109名に上る豪華無比の配役陣駆使して、日本映画界きっての快腕をふるうことにありましょう。

その配役陣の一端を紹介してみますと、前記長谷川一夫の大石内蔵助をはじめとして、鶴田浩二の義士岡野金右衛門、菅原謙二の正義の大名脇坂淡路守、市川雷蔵の悲劇の青年藩主浅野内匠頭、勝慎太郎の赤垣源蔵、黒川弥太郎の義侠の士多門伝八郎、根上淳の青年老中土屋相模守、また京マチ子の女間者おるい、若尾文子の大工の娘お鈴、山本富士子の内匠頭後室瑤泉院、木暮実千代の侠艶の遊女浮橋太夫、淡路千景の大石の貞節な妻りく、三益愛子の戸田局等の大スタア陣に、川口浩、梅若正二、川崎敬三、林成年、高松英郎、北原義郎、品川隆二、千葉敏郎、月田昌也、舟木洋一、船越英二、川上康子、浦路洋子、近藤美恵子、小野道子、三田登喜子、市川和子、中村玉緒、矢島ひろ子、藤田佳子、八潮悠子、穂高のり子、阿井美千子等の若手人気スタア、志村喬、滝沢修、小沢栄太郎、信欣三、東山千栄子、清水将夫、松本克平、坊屋三郎、潮万太郎、田崎潤、中村鴈治郎らのベテランが加わり、大映がこの日のために、創立以来十八年間つちかってきた底力をいかんなく発揮します。

 また、『忠臣蔵』といえば、そのセットも千代田城松の廊下をはじめ、どこのセットスケールの大きいもので、ここにも大映の総力を結集した威力を示します。例えば松の廊下のごときは、四百坪に余る規模をもち、巾二間、三尺の切縁附き、長さ二十五間、大名溜八十五畳、その他控えの間、蘇鉄の間等々の諸部屋を含み、欄間の彫刻だけでも三十八個、総工費二百万円をかけたもので、渡辺監督自身がまっさきに驚いたほどの豪華なものです。赤穂城、一力茶屋、江戸の町々はそれにもまして、大がかりなセットを組んで撮影され、そして最後に二千坪の大オープンセットいっぱいに展開する吉良邸討入りの壮観は想像を絶するものがあります。渡辺監督の早撮りで、これらの豪華なセットが数日にして使用済みとなり、片っぱなしからとりこわされる有様は痛ましいばかりでした。

 また、渡辺監督といえば、その早撮りの手法について映画界の伝説にまでなっていますが、この『忠臣蔵』に出演した大映のスタアたちは長谷川一夫、黒川弥太郎、鶴田浩二、木暮実千代など五六人の例外を除いて、百名以上の人たちが殆ど同監督と初顔合せで、噂に聞く早撮り名人に、一種の畏怖を抱いていましたが、実際に演出ぶりに接すると、それがいかにも合理的で、しかも俳優の感情をシーンの雰囲気にもちこみ、最高の状態に盛り上げていく手際の妙に、みな口をそろえてほめそやすばかりでした。例えば市川雷蔵は「こんなフレッシュな気持で演技できたことはない、しかも溝口監督のような緊張が必要だ」といい、菅原謙二は渡辺監督の人柄をほめそやし、勝新太郎は「いつも芝居で泣いたことのない僕が、演出のイキでつい本当の涙が出た」というように、全く例外のない絶賛ぶりでした。

 日本人の胸に永遠の息吹きを送る赤穂義士の元禄快挙を、日本映画界最高のスタッフ、キャストで、雄渾のスケールとスペクタクル豊かにくり開げる絢爛の絵巻、大映の『忠臣蔵』が、忠臣蔵映画の決定版と称される理由は、以上から推察できることと思います。

 あるいは悲しく、あるいは美しく、あるいは壮快に、大映の誇る天然色大型画面に堂々二万、三時間にわたって写し出す日本魂精華はあなたの魂を奥底からゆり動かすことでしょう。

“誰にもわかる”をモットーに 

 大映で仕事をするのはこれが最初だが、今までよりはるかに恵まれた条件なので、私としても張り切らざるを得なかった。例えばセットひとつにしても、バカバカしいほど大きくて立派で、私はツマらぬ欲をだしがちだった。よっぽど貧乏性なんだと苦笑したものだが、万事がこの調子で、いやでも打ち込まざるを得ないわけです。東京の俳優も多数出演しているので、スケジュールの調整がちょっとキツかったぐらいのもの。だが私にはだれにもマネのできない早撮りという技術がある。だからどんなに忙しいスタアでも、一度つかまえれば集中攻撃で上げてしまうから、これは容易に解決できた。

 今度の『忠臣蔵』は大映にとって初めてなら、私にとっても初めての、本格的な『忠臣蔵』だ。さいわい条件が完璧に近いので、最初にして最後の、つまりこれ以上はないという楽しい、大衆的な「忠臣蔵」を作りたいと思っていた。その意味で御満足いただければ、これに過ぎる喜びはない。

 会社の意図したところは極言すれば講談『忠臣蔵』だった。衣笠貞之助さんとか伊藤大輔さんとか、大映におられる大先輩をさしおいて、私があえて話をうけたのは、講談調のものなら絶対の自信をもっていたからだ。日本人に一番親しまれている題材を誰にもわかる楽しいものに仕上げるのは、易しいようで難しい仕事だ。それだけにやりがいもあった。例えば、この有名な仇討の秘密を四十七人のいずれもが家族にももらさず守り通した苦労ということも、今の人が見てなるほどとうなずけるように描いている。しかも撮影実数も一応三十五日と決められていたので、さすがの私も今度ばかりはシワがふえた感じだ。それでも自分に納得のいくものになったので満足している。これでもう一度ブルーリボン大衆賞をもらえるんじゃないかと、虫のいいことを考えている次第。

“俳優にはいい勉強”

 私事を申して恐縮ですが、三十余年の映画経歴を持つ私が内蔵助を一度もしていないのと同様、大映ほどの会社が『忠臣蔵』を一度も映画化していないのは、ちょっと信じられないほどです。今度渡辺邦男先生をお招きして『忠臣蔵』映画化が決まったとき誰より喜んだのは私かもしれません。

 第一に、私自身が一度はやってみたいと思っていた内蔵助をやらしてもらえたこと、第二に、久しぶりで渡辺先生の指導をあおぐことになったこと、第二の理由は私の個人的な問題ではなく、大映の俳優さんにとって非常に有益なことだと思ったからです。渡辺監督はかくれもない早撮りの名人ですが、これは粗雑なのではなくて、丁寧に撮っていながら仕事が早いのです。先生の早撮りにはいろいろと秘法があるのでしょうが、何といっても準備がチミツなことです。だから“中抜き”という手法を自由自在に使われるのです。そのかわり俳優はツライことになります。いつどこを撮られるのかわからないのですから、よほどシナリオをよく勉強して演技の計算ができていないと、とてもついていけません。そんな意味で今の若い人にはいい勉強になったことと思います。

 そのせいか、渡辺監督の演出にはじめて接する人達は、大変な傾倒ぶりです。ここからすばらしい成果が上ったことはいうまでもありません。その結果を、できるだけ大勢の人に見ていただきたいというのが、私の最大の望みです。