忠臣蔵に想うこと

 われわれ映画人が、忠臣蔵に示す情熱と野心は、これまでにも並々ならぬものがあった。創立以来十八年の大映が、総力を傾注して忠臣蔵を製作するのは今度が初めてであり、私の二十八年間の映画生活に於いても同様である。大映にとっても私にとっても、この歴史的一頁を飾るべく全情熱を注いでいる。それも忠臣蔵が、赤穂浪士の元禄快挙以来二百五十年以上もの間、この劇の内容を実録に従って幾度か修正を加えられて今日の大衆が忠臣蔵を作り、大衆の中で育って来たものと思われる。

 忠臣蔵を企画した当初、永田社長はあの厖大な配役を他社から人を借りることなく、大映の総力を結集したものとして製作したいと言明された。百十二名にも及ぶ配役編成がそれで可能であるかを危うんだ私ではあったが、あの通りの豪華な顔ぶれを見ることが出来、大映十八年の躍進ぶりを自他共に再認識した次第である。そして今や『忠臣蔵』の成功は勿論、今後共他社では、これ以上の忠臣蔵を作り得まいという確信を持つに至った。

 そして、大映京都の時代映画が、この忠臣蔵を契機として一大飛躍を試みるべく、その満々たる野心の基礎が、ここに置かれたのである。

酒井箴(大映京都撮影所長)