母スターとしての定評もさることながら、三益愛子が、山本富士子の傍にまわって瑶泉院付きの老女戸田の壺ねを演ずるときやはりこの人ならではの大女優らしい貫録と芸格が自ずから滲み出してくるにちがいない。

 そうして大女優の域に迫ろうとする阿井美千子が、その押出しと気品とを利用して、一力茶屋の遊女刈藻で、浮橋に次いで大石を理解する名妓に扮するのも順当と見てよいが、前述の若手男優陣の義士チームの壮観に匹敵する若手女優陣は、一力茶屋及び山科で、長谷川一夫の内蔵助を取り巻く絢爛の遊女群像を形成することになる。

 すなわち、まず男性陣の月田昌也に似た立場で、近ごろ時代劇出演がとみに多い近藤美恵子が五月、八島ひろ子が千歳、各々一回だけ時代劇に出た八潮悠子の薄雲、藤田佳子の紅葉、初出演の穂高のり子の夕霧、更に舞妓に川上康子の小菊、市川和子のちょん丸らの現代劇陣に加えて、地元の京都からは、三田登喜子の誰袖、若杉曜子の小車、浜世津子の夕凪、春風すみれの村雨、小町瑠美子の玉葉、真風圭子の薫、鳥居香月子の若水らが一挙に出演して、文字通り百花競艶の盛観を展開するのも、大映ならではの贅沢な配役であtり、いかにも勿体なすぎる感じがするし、これらの女優たちが遊女になって同一シーンに登場するのも、また或る意味で興味ある配役である。