これは、演技指導にもいえる。俳優がセットに入った時から、演技しやすい雰囲気にもって行って、本番になった時には、監督はもう完全に俳優をつかまえておられる。

 志村喬さん扮する大竹重兵衛が、快挙を知らせる瓦版売りの声にとび出して来て、婿の勝田新左衛門の名前を発見、狂喜するシーンを撮った時のことである。

 風呂屋から跳び出した志村さんが瓦版をつかんで婿の名を探すカットをクレーンの移動で撮り、次のカットで涙を出して狂喜する志村さんのバストを撮る時には、志村さんも渡辺監督もぐーっと調子にのって来て、迫真そのもの、本番の声がかかった時には、志村さんは本涙を出して熱演、傍から見ていた私たちも、これはいただきのカットだとほくそえんだ時、めったなことでは切れるはずのないライトが消えてしまった。皮肉なものだ。 

 その時の監督の無念残念な表情は傍で見るのも痛々しいほどの落胆ぶりだった。三十分もしてライトが点いて、二度目の本番は、さすがに本涙も出ず、目薬をさして袖で涙を拭くようなお芝居になってしまった。

 

  スタッフルームに引揚げてからも、「僕はね、あれを志村君が演った時には、溝の中に叩き込んで、撲りつけてやりたかったよ、そして手を取りあって泣きたいほどのものだった」と真剣な表情で話しておられたが、この打込んだ態度には全く敬服させられた。渡辺監督が目に涙をためて演出しておられたのを私も何度か見たが、そんな監督の態度を見れば、俳優の演技も自ずから異なってくるのは当然のことだろう。渡辺監督のこんな態度を私は、その場の雰囲気というか劇的シチュエーションに溺れているのではないかと思う。本人はあくまでも冷静に見守りながらもそんな態度が、俳優をそこまで引っぱって行くのだ。

 同じ志村さんの芝居で、婿の勝田が討入りするものと思っていたのが、勝田は、任官して他国へ行くと云う。志村さんは泣いて口惜しがる、という所でなど、一回のテストもなくいきなり本番を撮った。そして「そのまま、そのまま、ハイ本番」とこれを三カット繰り返したのである。志村さんがぐっとのっている時ではあったが、いつの場合にも俳優の演技を引き出すのが早く、掴まえたら放さずにどしどしと撮り進んでいくものだから、セットの中では俳優もスタッフもだれる時間が全くないのだ。

 それは、渡辺監督演出によく出ていると思う。むだのない、重点的にぐいぐいと押し進めて行く事、これが、観客を引張って行く大きな要素になっていると思う。

 今度の忠臣蔵も、所謂、忠臣蔵ダイジェストではなく、あくまでも血の通った人間性を押し進め、今迄にない、じかに受ける感銘を夫婦愛、兄弟愛、父子愛、等に、つまり庶民性をもたせた処、そして、柳沢幕政に対するレジスタンスといった社会性をも、盛り込んで、常に大衆と共に生きる −といった処に、渡辺演出の面目があるのではあるまいか。

 “新聞の映画評は一向に気にならないが、客の入りは大変に気にかかる、初日は山へでも入り込んで逃げていたい”とこの間もしみじみと言われた。ここに先生の人柄も、何十年監督としての生命を堅持して来られたことも、ブルーリボン大衆賞を受賞されたことも、本当に頷ける。渡辺演出はここにあるのだと思う。 −生意気な雑想を書きたててしまった。助監督として、まともな仕事も出来ないくせに、監督を批判するとはけしからんとお叱りを受けるかも知れない。しかし、修業途上、幾多の先生、先輩の監督につかっていただいて、勉強出来るのは本当に幸福だと思う。