幣舞警察官僚の伊福部利三、キワの三男として生まれる。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1935年北海道帝国大学(現北海道大学)農学部林学実科卒業。
伊福部は『ゴジラ』(54年)の映画音楽で有名だが、デビューは47年の東宝映画『銀嶺の果て』(谷口千吉監督)。以降、関川秀雄、稲垣浩、吉村公三郎、新藤兼人らの作品を中心に、大手映画会社から独立プロまでを幅広く手がけた。
伊福部の映画音楽の聴覚上の特徴は、オーケストラの中音低音域のユニゾンやピアノのトーンクラスターによる重厚な響き、『ゴジラ』のタイトル音楽に代表されるリズミカルなフレーズ(メロディを構成する最小の単位)を執拗に反復するオスティナート等がある。またその音楽演出は、本分である純音楽に対し映画音楽を“効用音楽”として区別し自らに課した「映画音楽4原則」の精神(映画音楽は次の4つの点においてのみ効果を発揮する/その1.ドラマの舞台の設定。音楽の雰囲気により時代や場所を設定できる/その2.ドラマの持つ雰囲気や登場人物の感情を強調できる/その3.ドラマのシークェンスの設定。シーンが変わっても同じ音楽が流れている間は一つの関連したドラマであることを示す/その4.フォトジェニーへの呼応。映像自体が発する音楽的喚起力に対する呼応)で一貫されている。
大映は伊福部が最も多くの作品を残した会社である。大映では黒澤明の『静かなる決闘』(49年)などの現代劇を手がけていたが、後に吉村公三郎の『源氏物語』(51年)、伊藤大輔の『地獄花』(57年)などの大映京都作品で、先に触れた自らの作風に加えて、オーケストラに琴や和太鼓などの日本の伝統楽器を組み入れる手法を取り入れ、時代劇における映画音楽のスタイルを確立していった。60年代には三隅研次の『釈迦』(61年)『座頭市物語』(63年)、田中徳三の『疵千両』(60年)『手討』(63年)『大殺陣雄呂血』(66年)などで円熟した腕を振るった。特に62年の『座頭市物語』のバックに一貫してボレロのリズムを伴ったテーマを付し、強烈な印象を残した。同時期には東映でも、内田吐夢の『宮本武蔵』、伊藤大輔の『反逆児』(以上61年)、工藤栄一の『十三人の刺客』(63年)などの時代劇を語る上で欠かせない作品を手がけている。2003年文化功労者。1980年紫綬褒章、1987年勲三等瑞宝章、1996年日本文化デザイン大賞。2006年日本レコード大賞特別賞、2007年日本アカデミー賞会長特別賞。
2003年頃から体調を崩し始め、2006(平成18)年1月19日に腸閉塞のため入院。2月8日、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去。享年91。 |