大河内伝次郎

1898年2月5日/福岡県

本名・大辺男(おおべますお) 昭和元年(25年)日活に入社し、37年に退社するまで、日活のスターとして君臨し、阪東妻三郎と当時の時代劇界を二分した、一方の雄である。

監督、伊藤大輔との名コンビで、数々の名作・快作を発表。そのニヒルなマスクと迫力ある殺陣で、熱狂的にファンを沸かせた。「忠次旅日記」(27年)は、当時の不景気風に吹き荒れる世相の中で、大河内の暗く鋭い風貌が共感を呼び、世に迎えられた。また、彼一代の当たり役、丹下左膳も「新版大岡政談」(28年)としてこのコンビで発表したものである。妖気漂う眼光と、凄まじい殺陣のスピード感で、見る者を圧倒し、彼の極めつけとなったのである。

その後東宝に移り、戦後は49年に大映に移籍。数々の娯楽作品に出演。その中のひとつ「われ幻の魚を見たり」(50年)は、十和田湖で紅鱒養殖に執念を燃やした和井内貞行の一代記で、長期ロケを敢行した。伊藤大輔監督と16年ぶりに組むがこれ以後二人のコンビ作はなく、大河内自身も、もやは昔日の精彩を見せることはなく、61年東映の「赤い影法師」が最後の作品となった。62年7月没。享年64歳。

1954.10.20
1956.05.25 喧嘩 鴛鴦