長谷川一夫
1908年2月27日/京都府
林長二郎の名前でデビューしたのが、28年。「稚児の剣法」から、晩年の東宝歌舞伎公演まで、そして84年3月に亡くなるまでスターの座を押し通した史上無類の美男である。
伏見の芝居小屋の子として育ち、五歳のとき代役として舞台に立ったのをきっかけに歌舞伎役者の道を歩み、初代中村鴈治郎の門に入り、林長丸の芸名をもらった。
やがて、その抜群の艶姿が、折から不振を嘆く松竹時代劇の救世主として迎えられ、初々しい美剣士ぶりで、たちまち日本一の人気スターとなった。
人気の波にのって、矢つぎ早やの主演作がつづき、35年「雪之丞変化」で、その人気は最高潮に達したのである。東海林林太郎の歌う哀艶きわまりない主題歌で美しい若女形雪之丞と、いなせなやくざ闇太郎との二役を鮮やかに演じ分け、松竹創立以来の記録的興行をもたらした。
この「雪之丞変化」は、その後63年に、主演映画300本記念として市川崑監督で再映画化され、彼の最大の代表作になった。
その間、田中絹代と共演の「金色夜叉」()で現代劇にも進出したが、37年松竹を退社、東宝に移った。ところが、この移籍をめぐって暴力団員に左頬を安全剃刀の刃でえぐられるという事件がおきた。斬られた後の第一声が、「鏡を、鏡を」であったという。驚くべき役者根性である。
奇跡的に快復したあと、本名の長谷川一夫を名乗って入江たか子と「藤十郎の恋」()に共演。その人気は、いささかも衰えることなく、さらに山田五十鈴と組んだ「鶴八鶴次郎」「蛇姫様」「婦系図」。現代劇では李香蘭(のちの山口淑子)との「支那の夜」()「白菊の歌」()と次々に大ヒットを飛ばし、何をやっても大当たりという大スターぶりを示したのである。
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