伊藤熹朔(いとう きさく)

1899年8月1日/東京・神田三崎町
23年東京美術学校西洋画科を卒業した。在学中から舞台美術の研究を始め、19年模型舞台研究所を創立して模型舞台展を開く。25年築地小劇場「ジュリアス・シーザー」でデビュー。以後、左団次一座、築地小劇場の舞台を手がけ、「夜明け前」「夕鶴」「火山灰地」「桜の園」「有福詩人」などの様式美、写実美を追求した数々の装置で認められる。また「雨月物語」「地獄門」などの映画のほか、オペラ、新派にも進出、斯界の第一人者となる。

30年後進育成のための六人会を主宰。47年文部大臣賞など数々の賞を受賞し、63年に芸術院会員に推される。著書に「舞台装置の研究」「舞台装置の三十年」などがある。建築家の伊藤為吉は父であり、兄は舞踊家の伊藤道郎、弟は俳優・演出家の千田是也、長女は女優の伊藤弘子、孫の上原真美も女優であり、長女の夫は長谷川哲夫である。67年3月31日没。

受賞歴:文部大臣賞(47)、毎日演劇賞、日本芸術院賞(49)、毎日映画コンクール美術賞(53)、朝日文化賞(64)

1954.10.20
1961.11.01 釈迦