溝口 健二(みぞぐち けんじ)

1898年5月16日/東京市本郷区湯島新花町

 父・善太郎は屋根葺き職人とも大工ともいわれ、日露戦争を当て込み軍隊用の雨合羽の製造に乗り出すが、戦争終結で破産し、家は競売される。母・まさ。姉・寿々は養女に出され芸妓になるが、後年は松平忠正子爵の正妻になる。弟・善男がいる。幼少時より貧苦をなめ、石浜小学校では同級に川口松太郎がいた。6年の時、盛岡の親戚にやられ転校先の小学校を卒業。15歳で浴衣の図案屋に奉公。学歴コンプレックスは生涯つきまとう。15年、母と死別。姉の援助で黒田清輝主宰の葵洋画研究所に学ぶ。父とは晩年まで不和で、母と姉への思慕は彼の作品に深く投影されている。18年、神戸又新日報の広告図案係の職を得るが、1年でやめ、姉の家に居候をして、浅草オペラや活動写真に熱中。モーパッサン、ゾラ、トルストイ、鏡花、紅葉、荷風などを読みあさる。日活向島の俳優・富岡正を知り、撮影所に出入りするうち、監督助手として正式に入社。小口忠につき、田中栄三の『東京襟店』が、最初の助監督作となる。24歳で監督昇進した『愛に甦へる日』(23年)は、貧乏生活の描写がリアルすぎると検閲でカットされ、琵琶劇にして公開する。5作目『敗戦の唄は悲し』(23年)は男に騙されたデ出戻り娘が、義理の父とともに漁村に住めなくなり故郷を出ていく。溝口映画の女性像の原型が見られるというのが定説。ルパンの翻案『813』(23年)、「アンナ・クリスティ」の翻案『霧の港』(23年)、表現主義の野心作『血と霊』(23年)、岡本一平の漫画から、中国の雇兵を題材に戦争風刺『無戦不戦』(25年)は上映禁止になるが、メロドラマなどなんでも手掛けている。

 『大地は微笑む』(25年)で中野英治がデビューし、続いて『赫い夕日に照らされて』(25年)を撮影中、愛人の一条小百合と痴話喧嘩で背中を斬られる事件が起こり、三枝源次郎監督で完成。スキャンダルになり謹慎処分を受けるが、『紙人形春の囁き』(26年)がキネマ旬報ベスト・テン7位に入り、女を描いて随一の定評を得る才能を発揮。商家・糸半の娘と象牙細工屋の息子が結ばれるが、両家は没落。夫婦とも不幸のどん底に突き落とされる悲劇で下町情緒が抜群と評される。『狂恋の女師匠』(26年)は清元の女師匠が、顔の腫物から無惨な姿で死ぬが、恋する三味線屋の新吉と、内弟子お久の仲を嫉妬し亡霊となって出る。泉鏡花原作『日本橋』(29年)は、姉を通して溝口もよく知った芸者の世界を、情趣あふれる描写で捉え、意地の張り合いに愛欲が絡む悲劇。

 27年8月、ダンサーから京都の劇団で女優をしていた嵯峨千枝子(本名:田島千恵子)と結婚。法政大学を出た実弟・善男はマルクス主義に傾倒し、その影響もあり、傾向映画『都会交響楽』(29年)と、『しかも彼等は行く』(31年)を発表。検閲で切られながらも、彼がリアリズム作家へ転身していく気迫にあふれ、『唐人お吉』(30年)でも、写実に全力を注ぐが思想弾圧の嵐は厳しく、溝口は極端なまでに警察を恐れたといわれ動揺する。トーキーへの挑『ふるさと』(30年)は歌手出世物語で、藤原義江が「鉾をおさめて」を歌うシーンが好評だが、試作の域を出ず、32年は転向して、国策メロドラマの超大作で入江たか子プロの第1作『満蒙建国の黎明』(32年)を2か月の現地ロケで撮るが、大失敗。続く『滝の白糸』(33年)で名誉挽回し、ベスト・テン2位に入る。入江の水芸人が若い法学士に献身し、殺人まで犯し裁かれる鏡花の世界を情緒的に描き、西南の役に至る政治劇『陣風連』(34年)が彼女との最後となった。34年、永田雅一が設立した第一映画社で、山田五十鈴主演で4本撮る。鏡花原作『折鶴お千』(35年)は回想形式をとった意欲的な語り口。売春までして尽した男は医学博士になるが、再会した時、女は脳梅毒で廃人になっている。『マリアのお雪』(35年)はモーパッサンの「脂肪の塊」の翻案で、西南戦争の話にし、九州ロケ・ハン中に父の訃報を受ける。『浪花悲歌』(36年)はシナリオに依田義賢との最初のコンビで、家族の犠牲になって妾になり、株屋を脅迫し警察につかまるが、誰ひとり味方になってくれず“私は一体どこへいったらいいのや”と、社会への反抗込め町に消えていくアヤ子。大阪の金がらみ、打算と冷たい人間関係をとらえベスト・テン3位。

 同年1位となった『祇園の姉妹』は、京都を舞台に昔気質の祇園の芸者の姉と、男は利用するものと割切った妹芸者“おもちゃ”が玩具ではない強烈な自己主張を持ち、彼が創造したヒロインの中でも画期的なもので、リアリズムの傑作になる。この間、夏目漱石原作『虞美人草』(35年)は成功せず、ベスト・テン3位の『愛怨峡』(37年)は、宿屋の女中が男で失敗し旅芸人になり、自分の半生を漫才にして回る人生流転。山路ふみ子が好演し、彼女主演で軍国調失敗作『露営の歌』(38年)、東北のホテル経営に失敗した父娘が東京へ出ていく『あゝ故郷』(38年)の3本を撮った後、松竹で芸道3部作を完成させる。『残菊物語』(39年)は歌舞伎の5代目菊五郎の養子・菊之助に献身するお徳との悲恋。田中絹代と初顔合わせの『浪速女』は、文楽の三味線名人・豊沢段平に尽す性格の強いお千賀が、盲目の人形遣い夫婦の姿を見て本当の情愛の意味を知っていく。溝口映画の献身する女の情感が、見事に昇華した作品と評価されベスト・テン4位。初代中村鴈治郎伝『芸道一代男』(41年)が続く。討入りシーンがない真山青果の戯曲の映画化『元禄忠臣蔵・前後篇』(41〜42年)は、松の廊下を原寸大に復元し美術は懲りに懲ったが超大作だが、封切は真珠湾攻撃直前の12月1日。社会情勢は映画どころでなく、興行は大失敗するが文部大臣特賞受賞。建築担当の新藤兼人が『ある映画監督』(岩波新書)に当時のことを書いている。壮大な失敗作といわれるが、ワン・シーン=ワン・カットの長回しロング・ショットを徹底させ、溝口美学が光る。撮影中から千恵子夫人に精神の異常が見られたが、ついに入院。38年には弟が拒食症で死去し不幸が続く。43年、軍報道部の要請で、日中提携映画製作のため依田義賢らと上海に行くが中止。『団十郎三代』(44年)は、団十郎に仕えたお加納の犠牲的精神を描き、20歳の京マチ子が出ており、『宮本武蔵』(44年)は“五輪書”の兵法探求が主題で、どちらも前進座俳優と絹代主演。五十鈴との最後のコンビ『名刀美女丸』(45年)は、仇討もの。国民歌宣伝映画『必勝歌』(45年)は、田坂具隆など4巨匠の“失笑歌”と評された珍品で戦中の苦渋がにじむ。

 戦後第1作『女性の勝利』(46年)は、絹代演じる弁護士が男性従属の封建主義を糾弾するが、観念的で彼の主題ではなく、『歌麿をめぐる五人の女』(46年)は歌麿のモデルになった女たちの愛欲を、エロティシズムをあふれさせて映像化。東宝競作『女優須磨子の恋』(47年)は、島村抱月との不倫愛の末、後追い自殺した松井須磨子伝。『わが恋は燃えぬ』(49年)は、自由民権運動の女性闘士・影山英子を通して自由恋愛、女性解放のテーマに取り組むが、スランプを脱せない。敗戦直後の大阪で夫は戦死し、息子も病死し生活苦から街娼に転落していく女性像に、厳しい現実描写で迫った『夜の女たち』(48年)でベスト・テン3位を取り復活、舟橋聖一原作の官能小説『雪夫人絵図』(50年)、谷崎潤一郎原作「蘆刈」から『お遊さま』(51年)、フランス心理小説の影響を受けた大岡昇平のベストセラー『武蔵野夫人』(51年)と文芸作品が続き、評価は高くないが、リアリズムから耽美の世界への模索の時期で、部分的に息を飲む絵画的な映像美が見られる。『西鶴一代女』(52年)は、34年から企画していたもので、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ一派に絶大な影響を与える。50歳の夜鷹まで身を堕したお春が、五百羅漢の仏像の顔に、恋し別れた男たちをしのぶ人生の生々流転、と無常の美学を極めた日本映画最高級の傑作になる。

 『雨月物語』(53年)は、さらに幽玄の美を極める。戦国時代の陶工・源十郎が戦乱を利用して一儲けし、朽木屋敷の姫君に出会い歓待され結ばれるが、姫は亡霊で、わが家に戻ると妻の宮木が暖かく迎える。だが、妻もまた落武者に殺された亡霊だった。ヴェネチアで銀賞を受賞するが、映画祭にはプラトニックな恋をしていた田中絹代を同伴した。森鷗外原作『山椒太夫』(54年)も、ヴェネチアで銅賞、連続受賞の偉業を果たす。人買いにさらわれ母は佐渡へ、安寿と厨子王の姉弟は荘園で奴隷にされるが、姉の犠牲で逃亡に成功し、国主になった厨子王は盲目の母と再会。感傷に流れない見事なクライマックスで、安寿入水自殺シーンなど傑出した演出を見せ、奴隷解放の話は西欧でも理解されやすく、ドラマトゥルギーも強烈。『近松物語』(54年)は、不義密通で引き回しにされ刑場に引かれていくおさん=茂兵衛の恋のパトスが、スタティックな映像美の中に燃え上がる。この間、得意の京都物『祇園囃子』(53年)と、『噂の女』(54年)を手慣れた演出で巧妙にこなすが、後者は絹代との最後のコンビとなる。彼女が『月は上りぬ』を監督するのを批判したことから、死の1週間前に会うまで絶交が続いた。不得手な中国史劇と王朝もの『楊貴妃』、『新・平家物語』(55年)を続けて撮るが、大映重役に就任し、商売になる作品を求められての大作だった。どちらも国内では不評ながら、海外では意外に評価は高い。遺作『赤線地帯』(56年)は、売春禁止法直前の吉原の娼婦たちのぎりぎりの生きざまを厳しく見据えている。

 56年5月、西鶴の『大阪物語』を準備中に京都府立病院に入院。8月23日、単球性細胞白血病で死去。享年58歳。紫綬褒章、勲四等瑞宝章受章。池上本門寺と京都・岡崎の満願寺に分骨される。戒名・常光院殿映徳日健居士。千恵子夫人の弟・田島松雄は日映のカメラマンだったが、43年にマライ半島で殉職。残された娘・宝と嶺、未亡人を引き取り、彼女とは入籍しなかったが死水を取ってもらい晩年に結ばれる。千恵子夫人は精神病院に入ったまま79年に死去。姉・寿々も81年に85歳で死去した。


野心を凝らす巨匠監督 (西スポ 05/14/56)

巨匠溝口健二を悼む@ A B C D E(オールスポーツ 08/27/56)


1955.09.21 新・平家物語

原作

1957.03.06 大阪物語