浦辺粂子

1902年10月5日/静岡県加茂郡下田町生れ。本名 木村クメ。沼津高等女学校卒後、松旭天外一座から根岸歌劇団浅草金竜館でコーラスガールをへて浪華少女歌劇団、その後平和歌劇団と移り、平和歌劇団から小松商会で映画女優となる。解散後は大阪オペラの沢モリノ一座、筒井徳二郎一座を経て日活入社。29年11月結婚退社したが翌30年4月離婚。日活に復帰している。日活大争議で退社し入江プロを経て新興キネマ太秦撮影所に入り、のちの新興の大映吸収にともない大映所属となるも、大映倒産後はフリーになった。はじめ、芸名は遠山みどりといったが、静浦みどりになり、また遠山みどりに戻り、それから静浦みどりそして浦辺粂子に落ち着いた。

デビューが24年「清作の妻」というのだから、実に昭和時代より長い芸歴を持つ名脇役である。オバさん役をさせたら、まずこの人の右に出る者はいない。だが、当人は沼津高女卒業という当時のインテリ女性である。

コーラスガールを経て日活入社。前述の「清作の妻」でデビュー。当時23歳。後年の名オバさん女優もむろん、可憐な娘役であった。しかし、どことなく漂う泥くささの残る素朴な持ち味は、スターとしての人気を得るには地味であり、一時は主演女優の座に着いたが、次第に脇役として貴重な存在となっていった。しかし、結果としてはそれが賢明であったといえる。大映作品で印象に残るものに「氷壁」「猫は知っていた」「細雪」等がある。

一人住まいの身で、思わぬ火傷に遭い89年10月26日東京医大病院で急逝した。

1955.03.25 次男判官
1960.05.18 行燈
1960.07.10 られ三郎