京マチ子
1924年3月25日/大阪府
本名 矢野元子 グランプリ女優・京マチ子-日本映画界が生んだ世界的女優である。
敗戦でうちひしがれた日本人を立ち直らせ、自信をつけさせたのは、まず50年の湯川博士のノーベル賞受賞、そして翌51年の京マチ子主演「羅生門」の、グランプリ受賞であるといわれる。彼女の主演作はその後も引き続いて、54年「雨月物語」がヴェネチア映画祭で、サン・マルコ銀獅子賞を獲得、同年「地獄門」が、カンヌ映画祭グランプリ受賞と、敗戦のショックいまだ覚めやらぬ日本人に、知的な自信をつけさせたのである。そして、彼女はこの3作によって、一躍世界的大スターの座へと飛躍したのである。
彼女がデビューしたのは「羅生門」出演の一年前、50年、安田公義監督「最後に笑う男」である。サーカスもので、相手役は滝沢修。160センチ、58キロという当時の日本映画界ではかなり目立つグラマーな肢体を、スクリーン一杯に躍動させたデビューであった。
出身は、大阪松竹歌劇団で、まだ、ほんの少女であった13歳で入団。舞台で人気を得たのは、東京の日劇で「七面鳥ブギ」を踊り、その美しい肉体美を披露したときであった。大映が彼女のグラマーぶりに目をつけ、24年のデビューとなったのである。だが、彼女は単なるグラマー女優というよりは、底知れぬ可能性のかたまりであった。
その彼女の未知数の能力を、最初に引き出したのが、黒澤明監督である。黒澤は、現代的なグラマー女優京マチ子を、平安朝の人妻に仕立て「羅生門」を発表。心理的サスペンスと強烈なエロティシズムを巧みに交錯させたが、人間にとって絶対の真実はあり得ないことを、冷厳に描いたのである。芥川竜之介「藪の中」を原作としたこの作品の中で、彼女は三船敏郎扮する盗賊に強姦される人妻、真砂を演じた。真砂は、燃えるような瞳をもった美女。盗賊が一目見たとたん、たとえ夫を殺しても、また、神鳴(かみなり)に打ち殺されても、自分のものにしたいと思う女である。この、男の心に火をつけずにはおかぬ美女、真砂は、彼女の華やかな美貌と、爛熟した肉体によって、見事にスクリーンの上に表出された。彼女の今を盛りと咲き誇る花のような美しさは、同時に、また、その先には最早、滅びしかない暗い予感をも含み、この世の無常感という冷厳なテーマを、観客の胸に冷えびえと伝えたのである。
当時、彼女の日本映画ばなれした大熱演が評判になった。だが、その熱演ということ以前に、京マチ子という女優の持つ独自の魅力-満開の花の、盛りと滅びが表裏一体となった-が、この映画を成功させた一つの原因であろう。
彼女の持味をさらに深めたのが、54年「雨月物語」である。戦国の世の無常に泣く女の霊魂が、この世ならぬ美しい姿で立ちもどり、男と出逢い、一刻の生を楽しむ。人の世と、人のいのちのはかなさを凄艶に演じ、彼女ならではの姿を刻んだのである。
この他、「痴人の愛」「偽れる盛装」「或る女」等の、いかにも近代的な女の匂いを発散させたものから「あに・いもうと」「赤線地帯」といった底辺に生きる愚かな女ではあるが、バイタリティーあふれた役柄。「穴」「鍵」「足にさわった女」等、士気の漲る作品まで、体当たり的な熱演で幅広く活躍。国際的スター女優の名に恥じぬ演技を披露した。
しかし、70年代に入り、映画産業の不振とともに、舞台・テレビへと仕事を移していった。そして現在、80歳近くなってもまだ豊かな美しさを残して、活躍を続けている。
| 1954.10.20 | 千姫 |
| 1955.04.24 | 薔薇いくたびか |
| 1956.10.17 | 月形半平太 |
| 1957.01.15 | スタジオはてんやわんや |
| 1958.04.01 | 忠臣蔵 |
| 1959.06.03 | 次郎長富士 |
| 1960.04.13 | ぼんち |
| 1961.02.08 | 濡れ髪牡丹 |
| 1961.11.01 | 釈迦 |
| 1962.05.12 | 仲良し音頭・日本一だよ |