藤原礼子

宝塚歌劇団の出身で、宝塚での芸名は大和七海路(やまとなみじ)。シャープなダンスを得意とする若手男役であった。やや陰のあるムードが、一部の熱狂的ファンに支持されていたが、トップになるまでにはいたらず退団。

58年大映に入社し「女狐風呂」でデビュー。この作品は市川雷蔵主演の明るくユーモラスな時代劇で、彼女はそこで舞台とはがらりと違った仇な姿を披露した。60年「切られ与三郎」から藤原礼子と改名したが、そのほとんどが時代劇で、きっぷのいい姉御や女師匠などの役で生彩を放った。また、勝新太郎の「悪名」シリーズにもレギュラー出演し、中堅女優として根強い人気をもっていたが、大映がポルノ路線に向うようになり出番がなくなり、芸能界を退いた。

藤原麗子さん69歳(ふじわら・れいこ=元女優、俳優の若山富三郎さんの元妻)が急性心停止のため自宅で死去しているのが24日、見つかった。死後約一週間で、葬儀は27日午前11時、東京都新宿区四谷4の34の東長寺。連絡先は港区南麻布1の27の21カーサ麻布西館の若山プロダクション。喪主は俳優の長男若山騎一郎(わかやま・きいちろう=本名・藤原敏章<としあき>)さん。 

 宝塚歌劇団を経て、1958年大映京都に入社、本格的に映画デビュー。藤原礼子の芸名で時代劇や、「悪名」シリーズのお照役などで活躍し、1960年代に俳優の若山富三郎氏と結婚。その後、離婚
した。

1958.07.13 狐風呂
1958.11.08 濡れ髪剣法
1959.11.22 薄桜記
1960.07.10 切られ与三郎
1960.12.27 大菩薩峠・竜神の巻
1961.01.03 花くらべ狸道中
1961.03.21 好色一代男
1961.07.12 水戸黄門海を渡る
1961.11.19 かげろう
1962.012.1 忍びの者
1962.02.21 婦系図
1962.12.15 陽気な殿様
1963.01.03 新選組始末記
1965.09.18 新鞍馬天狗