太田昭和(おおた しょうわ/あきかず

1929年5月12日/福岡県朝倉郡朝倉村

小学校のとき島耕二監督の「風の又三郎」(40年)を見て、強い刺激を受ける。鳥取県立米子高校、立命館大学予科を経て、54年、京都大学美学部を卒業。53年11月、大映京都撮影所に助監督として入社。主として森一生監督に師事し、「薄桜記」(59年)などについたほか、伊藤大輔の「弁天小僧」(58年)などにつく。71年、「秘録長崎おんな牢」で監督デビュー。この年に2本続けて撮るが(「穴場あらし」「蜘蛛の湯女」)、大映が倒産したため以後フリーとして、勝プロ、東宝、松竹、東映などで契約でテレビ映画を監督した。

主なものにフジ「木枯し紋次郎」(72年)、「座頭市物語」(74年)、「さらば浪人」(76年)、日本テレビ「西遊記」(79年)、「影の軍団シリーズ」(80-86)などがある。55年6月10日結婚、二女あり。