勝新太郎

1931年11月29日/東京

本名:奥村利夫 長唄の師匠・枡屋勝東治の次男として東京で生まれた。だが実際に産声をあげたのは千葉市の母親の実家であったとのこと。兄はやはり俳優で92年に急逝した若山富三郎。六歳の頃
から長唄と三味線を習い若い頃から歌舞伎座の舞台にたったこともある。

54年に大映京都に入社。同年京都歌舞伎界から映画界入りした市川雷蔵らと共に田坂勝彦監督「花の白虎隊」に出演して映画デビューを飾る。長谷川一夫や市川雷蔵のような二枚目役で活躍する彼だったが芽がでなかった。59年に「次郎長富士」や「薄桜記」に出演した頃から徐々に認められ、ようやく60年の森一生監督「不知火検校」で二枚目役をかなぐり捨てて悪の権化のような役をやったことから一躍スター俳優として注目される。翌年の田宮二郎と組んだ「悪名」が大ヒットし、さらに彼のスターとしての不動の地位を確立したのが62年の「座頭市物語」で、この盲目の居合い抜きの名人のやくざも、日本映画史上に残るヒーローの地位を確立したのだった。この年同じ大映のスター中村玉緒と「職
場」結婚。

「悪名」と「座頭市」、さらに65年からはじまる「兵隊やくざ」の三大シリーズで、市川雷蔵と共に大映の
屋台骨をささえることになる勝新、二人は「大映京都のカツライス(勝・雷ス)」と称されるようになる。だが大映は71年にとうとう倒産。勝新は大映倒産の既に4年前、勝プロダクションを設立し大映撮影所で自らのプロダクションにより映画を製作するようになっていた。68年には勅使河原宏と組んで阿部公房原作による前衛的な作品「燃えつきた地図」をプロデュース兼出演。更に東宝と連携して「座頭市」「悪名」「兵隊やくざ」シリーズを作ったり、兄の主演で「子連れ狼」シリーズをプロデュースしたりもした。71年には「顔役」で監督としてもデビュー。更に73年からはテレビで「座頭市」シリーズや「悪一代」等、自らが銀幕で演じたキャラクターをテレビ映画として製作していった。

78年にアヘン所持事件を起こし、80年には「影武者」降板でマスコミをにぎわせる。81年には勝プロダクションを倒産させ、かわりに妻・中村玉緒を社長に勝プロモーションを設立する。83年に「迷走地図」で久々に映画出演。89年には自らの監督で久しぶりに「座頭市」を手がけるが撮影中に真剣を使用したということで死亡事故が発生する。

90年には麻薬所持で逮捕。この為出演作「浪人街」の公開が延期されたりもした。95年に銀座セゾン
劇場で「不知火検校」の舞台にたち、翌年には中村玉緒競演で大阪で「夫婦善哉・東男京女」の舞にたつが、下咽頭がんのために入院。一旦退院したりもしたが、97年6月21日、ついに帰らぬ人となった。享年65歳。

1954.08.25 白虎
1955.06.26 行状
1955.12.07 怪盗 判官
1956.01.03
1956.02.26 柳生 秘伝 月影
1956.07.25 頭巾
1956.10.17 月形
1956.11.07 頭巾
1957.03.06 大阪 物語
1957.04.27 二十九 喧嘩
1958.01.15 遊侠 五人
1958.010.1 日蓮 蒙古 襲来
1959.06.03 次郎 富士
1959.11.22
1959.12.27 初春 御殿
1960.01.03 二人 武蔵
1960.04.27 大江 童子
1960.06.01 次郎 富士
1961.01.03 くらべ 道中
1961.07.12 水戸 黄門
1961.11.01 釈迦
1962.01.03 悪人
1962.05.12 仲良 音頭 日本一 だよ
1962.08.12 脇差 忠臣蔵
1962.11.01 始皇帝
1963.01.13 変化