西条照太郎(さいじょう しょうたろう)

1902年9月6日/静岡県出身
本名:土屋欣三、別名:波多謙治
大成中中退後、25年帝国キネマ脚本部に入社。26年よりシナリオ執筆を始め、昭和30年代に映画界を去るまでに数百本を手がけた。その間マキノプロ、月形プロ、河合映画、東亜映画、宝塚キネマ、新興キネマ、大映、東映などの映画会社に所属し、関西映画界に君臨した。
主な作品に「裁かるる者」「憤怒」「修羅八荒」「悪魔の哄笑」「謎の道化師」「母恋草」「はだか大名」などがある。

西條 照太郎(さいじょう しょうたろう、1902年9月6日 - 没年不詳)は、日本の脚本家である。本名は土屋 可義(つちや ありよし)で、牧野省三のもとで脚本家としてデビュー後、このほか西条 章太郎、西条 栄(-さかえ)、木下 藤吉(きのした とうきち)、波多 謙治 / -謙次 / -賢治(はた けんじ)、等のペンネームを使い分け、戦後まで活躍した。

1951年(昭和26年)、かつて「宝塚キネマ」を興した高村正次の「宝プロダクション」で7本の脚本を「木下藤吉」名義で執筆、同名義で東映京都撮影所作品、大映京都撮影所作品に1954年(昭和29年)まで執筆した。同年からふたたび「西条照太郎」名義にもどり、東映京都を中心に1956年(昭和31年)まで脚本の執筆をつづけたが、53歳になる同年、引退した。

その後は、京都・嵯峨野に現在もある老舗湯どうふの店「竹むら」の主人として過ごした[1]。没年は不詳である[1]