黒田 義之(くろだ よしゆき)

1928年3月4日/愛媛県松山市

父が大映京都の社員であり、伊藤大輔、稲垣浩両家と親戚に当るという、映画には恵まれた環境に育つ。50年3月立命館大学理工学部数学科を卒業し、一時は高校の数学教師として教壇に立ったが、同年11月、大映京都撮影所の助監督に欠員が生じて募集があり入社。伊藤大輔、衣笠貞之助に師事する。大学が数学系ということもあり、映画の世界でもその方面の才能を活かし、特殊撮影の研究と開発につとめ、大映京都撮影所特撮班の主要メンバーとなって、「日蓮と蒙古大襲来」「釈迦」、日米合作「あしやからの飛行」の特撮部門を担当。さらに、現在でも人気が高い「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」3部作の特撮監督を担当し、高い評価を得る。監督デビューは61年の「旅はお色気」だが作品には恵まれず、大映テレビ室の作品を手掛け、TBS『ザ・ガードマン』、日本テレビ『夜の主役』などを担当しテレビ映画の世界はと入って行く。71年の大映倒産後は、映像京都に属し、フジ『ミラーマン』(71年)、『河内山宗俊』(75年)、『賞金稼ぎ』『柳生一族の陰謀』(78年)、『服部半蔵・影の軍団』(81年)、日本テレビ『唖侍・鬼一法眼』(73年)、『西遊記』(78年)、テレビ朝日『暴れん坊将軍』(78年)、『必殺仕事人』『長七郎天下ご免!』(79年)、『必殺仕舞人』(81年)、『遠山の金さん』(82年)と幅広い活躍と忠実な仕事ぶりは定評がある。92年には教育映画「ぼくには涙はにあわない」で文部大臣賞を受賞したほか、和泉聖治監督「修羅の伝説」の脚本を執筆している。京都科学技術専門学校映像音響学科の講師もつとめる。55年5月23日結婚、一男二女あり。

1965.11.27

新鞍馬天狗・五條坂の決闘

助監督

1956.02.26 柳生連也斎・秘伝月影抄
1956.05.25 喧嘩鴛鴦
1958.04.29 命を賭ける男
1959.01.14 遊太郎巷談
1963.10.05 妖僧
1964.05.23 眠狂四郎円月斬り
1964.12.30 忍びの者続・霧隠才蔵
1965.03.18 若親分
1965.08.14 若親分出獄
1967.12.30 若親分千両肌