頭を丸めて坊主そっくりになった市川雷蔵さんは、まるで旧制高校の学生のような若さにあふれていました。久しぶりに京都を訪れたおなじみの南部僑一郎先生は、この若き修行僧と、意気投合して、いたたまれないほどの暑さも感じないほどの熱の入り方だったのです。

 老、若破戒僧の対談がこれという訳であります。                (編集部前説)

 

 市川雷蔵に逢ったとたん、こりァおそるべき天邪鬼だ!と思った。今までに彼と出あったことは、たった二度、今度が三度目である。とくに前の前で、こうしてインタビューしたのははじめてだし、その上まるでぼくらの若い次代の、ちょうど旧制高等学校の暴れん坊みたいな風貌だし、とくにニキビなども少しばかり出していたし、まったく親しみやすい感じがしていた、という、こっち側に気持の油断があり過ぎた、という条件もいあったからだろう。

 「いままでに主演したもののうちで何が一番気に入った作品だったの?」と、ごく常識的那質問をしたところが、矢庭に、「ぜんぜん、一本もありません」と返事されたからだ。これには少々おどろいた。

 だが、この答えは、おそらく当然なことだろう。自分のやったもので、自分の気に入ったものなど懸命に生き、伸びてゆこうとしている若者たちにとって、ある道理があるまい。云わば、一作々々は蝉のぬけ殻のようなもので、それらについて、良し悪しは云いたくもないにちがいない。

 「・・・そりゃァ、モノによっちゃ一歩前進したナ、と思われるものもあったし、二歩ばかり進んだかナ、と考えられるようなものもありました。しかし、そのかわり、二歩も三歩も退歩したような映画がつづくと、まったくいやんなっちゃう・・・こんなことで、役者やってて、何になるか、・・・しかも、そんなものは、自分の選んだ道じゃない。自分の選んだものなら、自分を責めて、次はこんなことはしないぞと覚悟をきめることができるでしょう。ところが渡したちの責任じゃないんです。それが辛いんです」

 彼の言葉を聞いていると、彼が俳優には珍しい、いわゆる内攻性格だ、ということがわかる。何に就いても、まず第一に自分を責めてみるのだ。

 「それは『新平家物語』など、いろんな人にいろんなことを云われました。いいという人、よくないと云う人・・・しかし、あの役なんか、ただ無我夢中でやっていただけで、自分にとっちゃ、批判の対象になりゃァしません。なるほど、そんなものかナ、と思っちゃうだけです」

 彼のまじめな、眼鏡をかけた顔をみていると、なにか若い学究のような印象をうける。時代劇のスタアには、ちょっと数のない姿だ。こういう気質で、こうした生き方をする俳優は、由来呼吸が永い。花の咲き出るような異常な人気は、映画会社のメカニズムをもってすれば一人前の俳優なら誰でもできるだろう。だが、いきの永い性格や風貌は天稟のもので誰もつくることはできない。自分自身で創造するだけだ。

 ぼくの好きだった役は『大阪物語』に『鳴門秘帖』もっとも、この役は少し奇怪すぎたが・・・それに『浮舟』『新平家』そんなものだった。

 「もう何本くらいとりました?」

 「さァ、四十数本でしょう多いですねえ」と彼は苦笑して坊主頭を撫でた。なるほど多作である。もちろん、これも彼の責任じゃない。会社は馬車馬のように彼を走らせる。当分は、それで我慢しなければなるまい。

 「本を読んだり、映画をみたり、人と話したりして、自分の内容を豊かにすると同時に、いい企画を探すんです。他人まかせじゃいけないんです。企画を出して無駄になったっていいんです。自分の勉強にもなることですから・・・」と、彼は積極的に生きる覚悟をはっくり語っていた。ちょっと、不屈の面だましい、といったものを感じさせられる。