原作者の三島由紀夫が、この前この撮影所を訪れたとき、市川雷蔵をひと目みて、うってつけの吾市役だ、といったそうだ。この場合、おそらく社交辞令じゃないと思った。

 「その、いわゆる美の哲学、なんてものは、炎上シーンに集約されて、他のわrっわれの役は、すべて人間ドラマになっているんです。わたしとからみ合う仲代(達矢)さんとか、他の女の人々の関係がとても人間くさくって面白いんです仲代さんという人、うまいですねえ、全然いいですよ」

 とにかく、この雷蔵の役はむずかしいがぼくらのもっとも好きな性格である。その上、彼のような純粋ではげしい性格にはうってつけではないか、と思った。

 「ぼくの役はドモリなんです。ドモリの会話って、むずかしいもんで、おどろいちゃった。その上、ドモリに関する心理、というんですか、この研究書がすごく出ているってことを今度はじめて発見して、これまたびっくりしましたよ。世の中には、いろいろと研究されたものがあるんですなア」と彼は気持ちよく笑った。

 ドモリの人間形成については、昔から今まで精神病学者や心理学者がいろいろと掘り返してきた。おそらく市川監督も、この際大いに学んだことだろう。

 「またまた、ひどく常識になってすみませんが、これから、どんな役がやりたいと思います」と、ぼくとしては、あんまり聞きたくない質問をしてみた。

 「やりたい役より、まず、やりたくない役を云いましょうか。それは二枚目です」とニヤリとした。

 彼はときどき、このニヤリとした云い方をする。これが、とても板についているから奇妙だ。これまた関西人には珍しいシニシズムである。シニシズムとはどう説明していいかわからないが、俗に皮肉とか冷笑、とか云っていいだろう。これの、もっと底深いものだ。京・大阪方面でよく「云いたいこと云い」という言葉がある。標準語に改め難い内容だが、彼はまさしく典型的イイタイコイイである。

 「いや、二枚目はやりたいなんて云わなくともやらされますからねえ・・・誤解のないように云っときますけど」と、もう一度ニヤリとしてみせた。

 「現代劇はこれ一本?」「いや、私のできるようなものでしたら、何本でもやりたいんです。ドストエフスキーのものや、ゴーゴリーのものやりたい、なんて云うとキザに聞こえますか」

 こうなると、手がつけられないから、この質問はひっこめることにした。

 対談が終って外に出ると、京都の夏の陽がギラギラ照っている。何とも盆地の夏は耐え難い。

 セットに行くと『鬼火燈篭』で長谷川一夫だ大勢のやくざ者にとりかこまれたシーンをやっている。久しぶりに、長さんと話をした。また撮影で、こっちは見学していた。すると、傍らに人がきて、「やア・・・」と挨拶する。みると、水もしたたる美しい若侍が立っていた。市川雷蔵である。と、なんという変り方だろう。と、彼はちょっと撮影をみていたが、

 「スタアってものはいいですなア、いくら悪人バラに取りかこまれたって死なない・・・」てなことを云いながら、さっと出て行ってしまった。ぼくと加藤編集長は、あきれて彼のうしろ姿を見送った。彼はスタアじゃなくて、何者だろう!とお互いに顔を見合わせて大笑いした。

 「いや、たしかに、云いたいこと云いにちがいない」とぼくらは決めたことである。

スタアってのはいいですねえ、強いから