再び世界に栄光をかけての撮影

セットは冷房装置で、スターも楽だが、さて楽でないのはお芝居という地獄の様な三日間

オープン・セットは太陽光線を利用して、キャメラも監督もビーチ・パラソルの下に収まって!溝口健二監督は、持ち前のネバリ性を発揮して椅子にデンと構える。これは天然色映画撮影とあって、太陽、黒白映画の数倍のレフ(反射板)を使っての大撮影なのです!

今日はひとめ惚れのクランク!

 さてその第二日目、此の日は午前中ちょっと曇ってオープン・セットでの撮影が不能となった為に、セットで時信の館の場を撮影することになった。

 前日のオープン・セットでの続きの場面で、時子に案内された清盛が、時信(石黒達也さん)に対面するシーンである。ようやく待望の冷房セットで、猛暑にさらされるのをまぬがれてことが出来たわけである。

 ひんやりとするセットに入ると、まだちょうどライティング(ライトの位置をきめる)の最中で、ごたごたしている中で、時子の父藤原時信役の石黒達也さんが、口の中でぶつぶつ云いながら、セリフを暗唱している。例によって細かくそのシーンの書きこまれた黒板が立てかけてある。

 このシーンは、戦功を立てて帰って来た清盛の父平忠盛(大矢市次郎)に、何ら功労の沙汰がないのをいぶかった正義の人時信が、大臣に忠盛の功をねぎらうように進言したところ、武家嫌いの公卿大臣達の怒りを招いて、謹慎を命じられたので、自分の為にこんな事態を招いてしまったと、忠盛が、息子の清盛へ書状を持たせて時信にわびるというところである。

 撮影は時信が清盛の持って来たその書状を読み終ったところから始まる。書状の巻紙を巻きながら、石黒達也さんの時信が口をひらく、

 「わざわざ丁重なお言葉をいただいて恐縮だ。わしは、ただ自分が正しいと思うことを、申し上げただけで、それが大臣方のお気に入らず、謹慎を命じられたとて、何も思わぬ、くれぐれもお心を煩わされぬよう、お伝えください」

 時信の前にかしこまる清盛の雷蔵さん、昨日の浴衣姿とはうってかわって、今日は烏帽子も凛々しい狩衣姿の衣裳をつけている。

 「ありがとうございます。そううかがえば、父もどんなにか喜びましょう。・・・しかし、お役目がえの御沙汰があったようにききましたが」「図書寮へ移されました。前職よりみれば格下げだが、好きな書物を対手に暮すのもかえって気楽ですよ」と、淋しさをまぎらすように笑う時信。

 そこへ、オープン・セットのときの婢女のような衣裳とは打ってかわった清楚で美しい衣服、白い下衣に桃色のうちかけを着た目のさめるように美しい久我美子さんが、酒肴の膳を持って入って来た。

 清盛の雷蔵さんはこの久我さんの美しい姿を吃驚したような顔で見守り、先刻婢女と間違えて失礼な態度をとってしまったことに気付いて、小さくなってしまっている。清盛の初めての時子への恋心が芽生えるシーンである。

 「無事に凱旋されたお祝いにもあがっていない。さ、忠盛殿に代って、一献おうけください・・・」と、時信がしきりにすすめても、すっかり恐縮しきってしまった清盛は、なかなか手を出さない。

 「時子、お酌を・・・」と、うながす時信、清盛のかしこまって赤くなっている様子を、微笑みを浮かべながら好ましそうに眺めていた時子の久我さんが、銚子をとり上げて、清盛に酌をしようとするが、その手には染料の為に黄色く染まっている。これを見て慌てたように、石黒さんが

 「お客様に失礼ではないか。手ぐらいきれいにして来なさい」「すみません、急に洗っても、なかなか落ちませんので・・・」と、いう娘のはっきりsた返事を取りつくろうように、

 「糸を染めて、衣を織るのを楽しみにしているのです」と、時信が云うと、咄嗟にいい返事につまってしまった清盛、「はァ・・・それは結構な御趣味です」と、間の抜けたようなことを云ってしまうが、清盛の素朴な人柄を好ましく感じている時子は、にっこり笑って、

 「愉しみでは御座いません。くらしの方便でございます」と、時子の答えはあくまでも正直である。「早くに、母を亡くしたものですから、とんと行儀知らずでな」と、時信、さすがに公卿の身として清盛の手前をとりつくろうのに一生懸命である。

 「お父さまのおっしゃるようにしていては、女はまるで人形のようになってしまいます」と、あくまで自分の意志をまげない時子、清盛の胸にはこの時子の美しさと真面目な生活態度が強く印象づけられるのだった。

 ここへ、それまで廊下に待機していた玉緒さんの時子の妹滋子が、ようやく登場して来て、「お姉さま、ちょっと」と、姉を物陰によぶ − とここまでのシーンである。

 後で玉緒さんに訊いてみると、このひとことのセリフを云うために、長い間、廊下に待機しているときの胸の動悸の激しさと云ったらありませんわ、と正直に告白していた。ここまでの長いシーンを自分のひとセリフの為に、壊してはならないといういかにも新人らしいいじらしい心である。

 一カット終って、ホット一息ついている久我さんに、「お疲れさま」と、云うと、「でも、京都へ着いてからまる一ヶ月は撮影の準備待ちで待機していたでしょう。だから体の静養は出来ているんだけど、陽に焼けてはいけないと云うので、一日宿でじっとしているのも相当な難行だったわ」と、久我さん、例の愛らしいヤエ歯を見せてニッコリする。

 傍らの雷蔵さんも「まったく昼間外出出来ないっていうのはつらいね。だけどそのつらさも、やり甲斐のある仕事をしているという喜びに較べると物の数ではなくなりますよ」と、大変な張り切り方なので、頼もしくなる。