千田是也と木暮実千代に演技をつける溝口監督(後向き)

三、

 今日は朝からこのセットだけだが、一時過ぎの現在、まだクランクは一度もしていない。長い渡り廊下に平行して移動クレーンが敷かれ、移動クレーンの先端にキャメラを据えて、宮川一夫君の助手と乗っている。宮川君はいつ見ても引締まった精悍な感じだが、仕事中はまるで雄鹿のような鋭さを感じさせる。相当に長丁場の“シーン46”を移動とクレーンによるパンでワン・カットに収めると云うので、移動車を押す人たち、クレーンの回転を調節する人などが、色々と、もう助監督たちのアレンジで“演技”をつけている俳優たちの動きにつけての、移動とパンのタイミングの稽古をしている。

 右手の戸口から二人の公卿と一人の女官が出て来たと思うと、“間”を置いて泰子(木暮)と頼長(千田是也)が会話をしながら登場。二人は中央の松の木の前に立ち止って会話。頼長が泰子の手をとり、二人もつれるようにして左手に去る。その左手の前庭のしげみのかげに清盛(雷蔵)と家貞(菅井一郎)がかくれていて、頼長、泰子の会話に清盛思わず立とうとし、家貞とめる。そこへ公卿たち左手から現われる−と云うのがこの場面の大体の動きだが、泰子は浴衣に緋の袴だし、清盛も浴衣がけ、本番になるとちゃんと衣裳をつけるのだから、このリハーサルは、違った意味での“ドレス・リハーサル”と云ったところであろう。

 リハーサルで一応形がついたころ、セットの一隅で黙々としていた溝口さんが、椅子を廊下の前下の中央辺に置いて、どっかと座った。キャメラの移動とパン、最後にグット下げられて清盛の前で、殆んど地上すれすれになると云う操作のタイミングが今一つスムーズに行かず、宮川キャメラマンが色々とダメを出している。一方、泰子と頼長の芝居のバックになる松の一枝が具合が悪いと切られている。宮川君の話では、このワン・シーン、ワン・カットは160呎(フィート)程度になる由だが、相当の長い芝居をカットに割らぬ辺り、溝口式と云うべきだろう。宮川君はクレーンの上から、木暮、千田の両君に、立止った時の視線の置き方に就いて何か話し合っている。チーフの弘津三男助監督が他の助監督たちに何かといそがしそうに指示を与えている。

 溝口さんも木暮、千田両君の芝居にダメを出して、はじめは手をにぎって二人左手に行くと云うのが、結局、頼長が泰子の腰を抱くようにして、二人もつれて左手へ行くと云う芝居にきまる。

 もう時間は二時を過ぎた。では、もう一度「動き」をやってみましょう。と云う助監督の声で、一同「動き」のスタートを切る。キャメラもこれについて動いて行く。これでOKとなれば、次はいよいよ衣裳をつけての本番だ。さすがに凝り性の溝口さんも、追い込みとなるとそうねばらずに、どうやら本番が見られるらしい。と思ったとたんに、異変が起った。廊下の板敷きがどうも少しやわだと云うことになった。何しろ紫宸殿と清涼殿をつなぐ廊下だから、がっちりしていないといけないらしい。

 さっそく道具方が板をかつぎ込み、トンカチで、みんなでつくりかえしての板敷きの補強工事がはじまる。亀田俳優課長の姿も見える。さっきから来ていた酒井所長も心配そうに様子を眺めている。溝口さんはじっと椅子に坐っている。

 この間、約三十分。ようやく補強工事は終った。助監督や道具方の人たちがその上を踏んでみている。と、すくっと起ち上った溝口さんが、いきなり廊下に飛び上った。と見るまもなく、溝口さんは、どしんどしんと板敷きの上をあちらに飛んだり、こちらに飛んだりしだした。

 歩いてみるくらいじゃ、駄目です。こうして飛んでみなくては、と云う溝口さんの声が聞こえる。真剣な顔が引締まって溝口さんらしい冷たい情熱があふれている。

 ようやく、最後のリハーサルと云う時になって、しげみにかくれた清盛の烏帽子が、どうしても外に見える、しげみにした木が足らない、早く植木鉢を持って来いと云うことになった。それだのに、まだ予定してあったしげみ用の植木が全部来ていないと云うことが判ってリハーサルは一時中止となった。

 時計はもう四時をさしている。この様子では、本番はやはり夜になるらしい。「植木待ち」はニ・三十分はかかるらしい。三時間ねばって、やはりカチンコの音は聞けずに、ぼくはステージの外に出た。さっき、さっと時雨れたせいか、ステージの中とくらべてひどく暑くない。