寿海さんと雷蔵さん

巌 谷  槇 一

 寿海さんとは、もう三十年余りの長いお交際(つきあい)です。寿美蔵さんと名乗られ、左団次一座の二枚目をしていられた時分から、脚本を書いたり演出をしていた私は、仕事の上でお目にかかっておりました。

 その頃から既に温和で、しかも真面目な寿美蔵さんは、寿海を襲名された今日に到って益々その人格に磨きをかけられて、現今では東西稀に見る円満な風格者として、梨園の鑑となっておられます。

 お若い頃には、その誠実さの余り、少し堅過ぎると評された演技も、今日では円熟の域に達して、まことに絶品の至芸をみせておられることは、今度、「菊池寛賞」を貰われた一事でも明白でありましょう。

 その上寿海さんには、明るさと、お客様を惹きつける魅力を持っていられるのですから、先ず当今の日本で一番大切な俳優さんの一人であります。

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 雷蔵さんは、昭和二十六年のお正月に中座で「おぼろ駕籠」をやった時が、私としては初めてでありました。

その頃はまだ九団次さんのご子息として、扇雀、鶴之助、鯉昇、太郎君等と、若手花形の芽を吹きはじめたばかりの頃でありましたが、やがて寿海さんの養子となられるに及んで、段々とその頭角を現わして来られた処で、映画へ入られたのであります。

 おっとりとしたその芸、品格のあるその顔立ち、凛然たるその風姿は、たちまち映画界の一方の旗頭として、他の追従を許さぬ位置に達せられたのも、ひとえにその天稟の賜物でありましょう。 

 しかし、よいお父様を持たれたのでありますから、歌舞伎の為にも、もう一度奮発して戴いて、次代を荷う俳優となられんことを切望してやまぬところであります。

若竹の すくすくとして 今日の幸

(松竹演劇製作部顧問 童話作家巌谷小波さんの御子息、歌舞伎座幹事室におられます。)