この曲は文政九年六月、江戸市村座にて作詞者二世桜田治助、作曲者初代清元斎兵衛、二世清元延寿太夫に依り初演されたものであります。

 初演者は三世坂東三津五郎が踊った三変化物の一つで、武内宿弥と漁師の網打と組合せられていたが短い中に聴かせ所が多く、作曲者が巧みであった故であろう。

 町内の鳶頭がお祭がすんでの帰り道の姿をして踊りまくるのであります。

 (解釈) 「申酉(お祭)」は山王祭の小車が猿と鶏を先達にするので山王祭の別名で有名であるが、別に「さるとり」と称する花があるので、それを掛けてある「こぶ」は故障の意、「山帰り」とは盆の大山参りの帰途の意、大山神社は高い所へ登る鳶頭や屋根職が信仰した。「あきらめて」は当時流行した字あまり都々逸「あか凡夫」は真の風人の意味。「おしやらく娘」とは、早熟たる娘の別名。「ぶりぶり」は子供のおもちゃ。「人形筆売」とは有馬名物の筆売り、筆には人形が首を出す。「獅子王」は百獣の王と獅子を尊ぶ意だが、山王の頭獅子が天下一品な意もかけ、「座頭」では三津五郎の自分をも唄ってある。いずれにしても、身軽なそして江戸前を発揮した舞踊であります。