『花の白虎隊』で因習の歌舞伎から、新しい映画界にデビューされた雷蔵さん。『弁天小僧』では、はや五十本目の出演を記録される事になりました。

 五十本と一口に云えば簡単です。けれども雷蔵さんの今日あるまでには、幾多の起伏があった筈です。たしかに幸福なデビューでした。が『花の白虎隊』、『千姫』などの初期の一連の作品のあの初々しさ、香気あふれるばかりの気品もそれだけが身上では、マンネリズムに落ちる危険も含んでいた様です。けれども第一の演技開眼が、溝口監督の『新・平家物語』でなされた事は幸運でした。私達はそこに、はっきりと彼の成長を見てとる事が出来たのです。その後、『又四郎喧嘩旅』その他では明るいコメディ風な一面も開拓された様でした。また、『大阪物語』では、最もむずかしいといわれる“前だれもの”を演りこなしたのです。

 『朱雀門』『浮舟』では、きびしい目をもった批評家をあっといわせるほどの気品と風格をみせた演技を示してくれました。

 この頃からでしょうか、俳優として、また一個の人間として深く苦悩している様子が画面を通してありありと私共に感じられはじめたのです。その筈です。既にその頃、『炎上』をはじめ、「なよたけ」「風と雲と砦」など、いろいろの企画が、彼の胸の中で育まれていたのです。それらの実現のむずかしさ、それによって起る種々の折衝の実際を体験されたに違いありません。

 内から溢れるものを押さえきれないかのような雷蔵さんの御様子でした。ただ会社の商業主義に踊らされる俳優ではありたくないという大きな意欲に燃えていたのです。(生意気な云い方が許されますならば)人間として、演技者として、ひとまわり大きくなられたのもこの頃でした。

 『旅は気まぐれ風まかせ』のような軽妙な役をソツなく自分のものにしたのも、また、『忠臣蔵』の内匠頭、『遊侠五人男』の妻木兵三郎などの重厚な役どころを遜色なく演ってのけたのも、彼の人間としての俳優としての苦悩が、大きな背景となっていると思うのです。

 この大きなあらわれが『炎上』での彼の演技だったといえるでしょう。たしかに市川雷蔵の俳優生活の総決算でした。この作品、また彼の演技に寄せられた批評家達の好評も、市川崑監督によるものに違いないとしても、それらはやはり、彼自身のうちたてたものでした。

 新しい演技開眼を試み、そして成功された雷蔵さん、これからどの様に御自身をたかめられ、どの様に演技者の道にいそしまれる事でしょうか、前途の遥かな雷蔵さんに私共ファンは、惜しみない信頼と愛情を注いで見守るのです。(武藤正江)