あわただしい中にも無事盛会裡に終った秋の集いの楽しかった雰囲気が、まざまざと頭に残っている現在、京都へ帰って息つくひまもなく私は、引き続いて『弁天小僧』の撮影に出ながら、この文を書いています。

 早いもので、この『弁天小僧』で私の出演本数が、五十本目を数える事になりました。今度会誌の方も五十本記念特集を、出されるに当り、私のこれまでの仕事を振り返り、又今後の希望なり、抱負の一端を申し上げたいと思います。

 日本映画界の現状では、四年半に五十本という数字は敢えて驚くべき事でもありませんが、それが外国の例とすれば大変なことになります。つい此の間ある人から聞いたのですが、ジャン・ギャバンが、先き頃日本で封切られた作品で丁度五十本目になったというのです。ギャバンといえば、私なんかは、幼い頃から銀幕で親しんで来た、永い経歴を持ったスターです。それがやっと最近で五十本目を撮ったという事を知って、私は改めて日本映画界を見直さないではいられませんでした。

 この四年半の間、五十本の映画の中で、私は『花の白虎隊』の少年剣士を振り出しに、殿様、やくざ、王朝人、宮様等々から、どもりの青年まで、いろいろな種類の役柄をやって来ました。そのうち最初の一年間は全く無我夢中、足が地についていないという表現そのまま当てはまる状態でしたから、今此処で感想を述べる何ものもありません。二年目になってやっと、おぼろげながら映画の仕事がわかりかけて来たと言え、会社が私を売ろうとする方針と素材に振りまわされた形で依然として私は、自分を見出し得なかったといえるでしょう。

 三年目ともなって、私も当時、石の上にも三年というたとえを借りて、抱負を述べた事を覚えていますが、機会を通じて芸術だという事がようやく解って、仕事も又、面白くなりかけて来た時代でした。

 そして四年目、すなわち現在ですが、今や私は深くなくとも一応は映画のテクニックを習得できたといっていいと思います。ですからこれからは、先に述べた様に会社が与える企画や、役にはめられて行くのではなく、自分から積極的に働きかけて、自分の力へ引き入れるということにならねばいけないと思います。