成田屋親子

六年ぶり楽屋で語る

寿海--権八は難しいですから・・・

雷蔵--でも、お父さんのお蔭で・・・

司会 菱田雅夫

対談の前の寿海さんと雷蔵さん

 

市川雷蔵が八月の大阪新歌舞伎座に出演した。舞台を去って満六年ぶり、父の市川寿海に、淡島千景、新派の人々の参加でにぎやかな顔ぶれで「ぼんち」「祭ばやし」「浮名の渡り鳥」で昼夜二回でずっぱりの奮闘だが、忙しい幕間に寿海と雷蔵の両氏にこんどの顔合せについていろいろと話し合ってもらった。

 

--六年振に顔を合せてどうですか。

寿海 サア(笑って雷蔵を見る)

雷蔵 別にどうということもおまへん。ただしんどいことですワ、これやったら映画の方がウンと楽だす。何しろ朝から晩まで同じものを二回やって出ずっぱり、ゆっくり御飯を食う間もないし、訪ねてくれた人にロクに話もでけん。追いかけ廻られて休みなしや、ギリギリまで映画につかまっていて、開放されたらスグ稽古から初日、まだゆっくり工夫する間もおへん。

寿海 わたしも八月はお休みにしてもらうつもりでしたが、倅のおかげで引っぱり出されて・・・、お前がわたしと一緒に舞台に出たのは最後は何だったかなア。

雷蔵 あれは昭和二十九年五月の東京明治座だした、「近江源氏先陣館」が出て、お父さんの盛綱に暴れ注進信楽太郎を演りましたがなア、あれがしまいだす。その翌る月に大阪歌舞伎座で「高野聖」が出て、扇雀さんの娘に白痴の亭主をやって舞台に出たんだすさかい、もう六年経ちまっせ。

--それからの六年は映画一すじに随分苦労でしたね。

雷蔵 ええ、でも自分から進んで入った道だすさかい苦労は覚悟の前だす。寿海の倅やなんて笠に着ようとも思うてまへんし、そんなことで七光族扱いされとうなし自分の力で頑張るより外ない世界やと思うたら、自然ガムシャラに六年やって来ただけだす。

寿海 はじめが「花の白虎隊」だったね、こっちもちょっと心配で観に行ったが、あれから六年経って、どうやら映画人として立ってくれそうなので、ホッとしたね。

--六年の間に舞台へかえったら--- というような話はなかったですか。

雷蔵 いろんなウワサはあったらしおますけど、僕にしたら二度と戻らんつもりやったし、何を書かれてもべつに気にもしてまへんでした。こんどのことにしても、映画で何とかなったら、舞台へ出してやるという話もおましたけど、そんなことをべつに楽しみにもせず、ただ映画界で成功したいとばっかり考えていたんだす。こんどの新歌舞伎座へ出る話が決まったら、ファンの方から「これを機会に時折舞台に出てほしい」とか、「これからは年に二回ぐらい舞台へ出てほしい」なんておたずねがおましたけど、僕はそんなこと考えてもいまへん。よく映画の人は一度舞台へ出るとそれをキッカケに年に何回か出るようにする人もおますけど、僕はそんなことキライだんね。もともと舞台におった人間だすさかい舞台がべつにめずらしいわけでもなし、それより映画人は映画一すじに進むべきやと思いまんナ。そうでなかったらなんで舞台をやめたのか意味がおまへんやないか。つまりこんどの公演は僕としては最初で最後やと思うてます。

--立派ですよ、それはいいことです、ねえ寿海さん。

寿海 いろいろ勝手なことをいいますので・・・(笑)

--寿海さんとしては雷蔵君が映画にいることもいいですが、やはり舞台へ帰ってほしいでしょうね。

寿海 イヤ、わたしはべつにそれを強制したくないんです。雷蔵には雷蔵の考え方もありましょうから、本人の心任せが一番いいと思っています。六年も舞台を退いていては戻ってもそのブランクをとりもどすのが大へんですもの。

雷蔵 こんど川口専務書下しの「浮名の渡り鳥」の劇中劇で「鈴ケ森」が出て、お父さんの長兵衛に僕が権八をやってるんですが、権八は初役だす。お父さんも若い時分に演ったきりだといいますさかい、まあ初役二人の顔合せというところで、下手なところは割引して見てもらわんと(笑)、僕が舞台で権八を演っている役者やったら、いま映画にはいまへん。権八みたいな役は演らしてもらえなかったのが、つまり僕が映画俳優に早替りしたいうわけや、とまそういう理屈だすな(笑)

「浮名の渡り鳥」沢村蝶次に扮した雷蔵さん

--「鈴ケ森」での顔合せの感想は。

寿海 サア、(笑)わたしがはじめてこれを演ったのが二十歳か二十五歳ぐらいでしたか、勉強芝居で、亡くなった河原崎権十郎さんと一日替りの「鈴ケ森」でした。それからは権八ばかりで、長兵衛などなかなか演らせてもらえません。ヤットやらせてもらえたら七十いくつの今日、倅との顔合せでということになりまして(笑)、権八の役はむつかしい役ですから、雷蔵にはいろいろと至らぬ点が多いと思います。どしどし叱言をいってやって下さい。

雷蔵 権八でも、映画でやった切られ与三郎でも、歌舞伎狂言は映画とちがって型や約束があってやっぱりむつかしいもんだす。何とか演ってますが、元が歌舞伎役者だすさかい、歌舞伎物が下手やとよけいボロクソにやられます。(笑)その点「ぼんち」の方がやりよいですワ。

--「ぼんち」は映画より評判がよさそうですね。

雷蔵 うまくまとまっていると云われてます。映画も芝居も同じ辻久一さんの脚色だすし、辻さんは芝居の方もくわしい方だすさかい心得た脚色で、こっちも演りよいので喜んでます。それとこんどの「ぼんち」では新派の皆さんに出ていただいてほんまに幸やと思てます。僕のやるものはむつかしいですね。映画でやったものなら慣れているけど、それだけに映画とくらべられるし、歌舞伎物をやれば元がどうのとスグ引合いに出される。やっぱり勉強が肝心です。

--寿海さんの方も関西の歌舞伎が不振だといわれていろいろと悩み多いことですね。

寿海 ええ、申しわけありません。いろいろと努力していますが、なかなかうまくいきません。しかしそのうちに皆さんに喜んでいただけることと思って努力をつづけていきます。「花梢会」を結成してから、これといういい成績をお見せ出来ないのが残念です。

--それだけにこんどの興行のヒットは久しぶりで嬉しいでしょう。

寿海 いやあ、よく来て下さるのは有難いですよ。でもこれは倅のおかげといわれることでしょうから、手放しで喜んでいるわけにも行きません(笑)。

雷蔵 イヤ、これはなァ、やっぱりお父さんが出てくれているおかげだっせ、僕だけやったらこれだけのお客さんはとても来てくれまへん。

--親孝行やら子孝行やら、そのへんで大いに仲よく頑張って下さい。(「幕間」60年9月号より)