芸と人生

 「桃栗三年柿八年だるまは九年おれは一生」

 これは私が日頃から尊敬している武者小路実篤先生の有名なお言葉ですが、芸とか、人間とかいうものを、私はいつもこのようなものと考えたいと思っています。私は一昨年の大晦日、ある一人の年若い友人をつれて、甲州の身延山に登り、その壮大な元旦の朝の初日ノ出を、頂上から拝したことがあります。身を刺すような寒気のなかを、額に汗して頂上をきわめ、目の下一ぱいに広がった一面の雲海の底から、静々と、夜明けの太陽が昇ってくる壮麗な光景は、いまだに忘れられません。同時に宇宙とか、自然とかいうものの偉大さの前に、人間なんて、小さな、ちいさな存在だとおもいました。

 芸も人間も、短い一生を費やして、どこまで至ることができるものか、おのれを振り返りふりかえり、高い山を登っていくようなものです。「炎上」を認めていただいたことは、私の野心が認められたことで、これよりうれしいことはありませんが、原作を読んだときに演りたいとおもい、監督の市川崑さんと二人で一年ネバリました。高い山を、休むことなく登っていくつもりで・・・このネバリが役に立ったのでしょう。

 いつか正力松太郎氏と徳富蘇峰先生とのお話のなかで、「私より古えをなす」という言葉を読んだことがあります。他人の真似をしてはいけない!独創的であれ!自分が最初の人間となれ!という意味だとおもいますが、実にいい言葉で、それ以来私は人間として、俳優として、座右の銘としています。

 またいつか友人のNTVの樋口譲君が、津川雅彦君をつれて、幸田文先生のところにうかがったとき、ちょうど雅彦君は六社協定の問題やなにやかで、自由に働ける場所を見失っていたときでしたが、そのとき文先生が、「容れられずして、その大を見る」という言葉を贈って、雅彦君を励まして下さったという話をきいたことがあります。これは亡くなられたお父さまの露伴先生が、なにかの折に文先生にいわれたお言葉だそうですが、周囲に容れられないときは、それほど自分が大きな人物だとおもえということで、人間、どんな場合にも、卑屈になってはいけないという訓えだとおもいます。雅彦君は、どんなに温かな気持を抱いてアメリカにいったかしれません。

 私自身、さまざまな生活環境の変化のなかで暮らしてきましたが、どんなときにも、「私はひとりだ。ひとりで、市川雷蔵という人間を築くのだ」と、二十歳ぐらいのときから考えてきました。