ふたたび彼とあうときは

 はじめに二日間ほど、京都にいった後にわたくしはいよいよ撮影にはいるために、それからまた十日ばかり、そこで暮らしました。そして、そのあいだに何カットかを、彼といっしょに撮りました。これはわたくしにとっては、貴重な日々であり、おしえられるところの多かった体験です。

 わたくしが雷蔵さんを、もっともすぐれた俳優の一人だとおもうことの、もう一つの理由は、彼はいつでも、映画のなかの人物になりきっているということです。そういう点、アメリカ映画のマーロン・ブランドによく似ているとおもいました。マーロン・ブランドは、アメリカの映画俳優で、わたくしの尊敬し、愛する俳優の一人です。マーロン・ブランドもまたつねに映画のなかの人物になりきることのできる俳優です。

 映画でも、舞台でも、与えられた役の登場人物になりきるということは、なみなみのことではありません。しかし、俳優には、それが要求されます。そしてすぐれた俳優だけが、その困難に成功することができます。「有馬晴信」という切支丹の若い大名に扮した雷蔵さんは、髪や、衣裳や、メーキャップが、そういう形式を写しているということだけでなしに、彼の感情や、彼の演技のすべてが「有馬晴信」という、一個の人間を表現しているところに価値があります。それが、彼の理智です。わたくしがこの映画で、ちいさな役を与えられながら、ふとこんな時代に生れていたならなどと空想したのも、こういう雷蔵さんの、その人物になりきった演技を考えると、きわめて自然なことでしょう。

 わたくしは雷蔵さんにみちびかれて、知らず知らず自分もまた、この日本の一時代の、数奇な星の下に生まれた一人の少女になりきることに、一生懸命努力していました。雷蔵さんは理智的であると同時に人間的で、いっしょに出演する他の俳優たちに対しても、やり易いように、やり易いように考えてくれているように見うけられました。ですから、わたくしのようなものでも、おわりまでやりとげることができたので、泣かなければならない場面で、目薬を使わず、自然にポロポロと涙が出てきたのも、雷蔵さんのおかげです。

 雷蔵さんの演技が形だけのものであり、もし勝手に、主役が一人で芝居をしているおうな演技であったならば、はたのものはどうしたらいいのでしょうか。泣かなければならないときに泣くことも、笑わなければならないときに笑うことも、きっとできないにちがいありません。「言葉ではなく感情だ」と、伊藤監督はいわれましたが、そのとおりだとおもいます。しかし、頭のなかでわかっていても、それはとてもむずかしいことです。わたくしの演技が、もしそれに一歩でも近づいていたとしたら、それは伊藤監督と雷蔵さんお力であります。

 また、人間というものは、おたがいがおたがいを理解し合うためには、言葉というものは、たしかに必要なものにちがいありません。撮影所では、わざわざわたくしのために通訳の人をつけてくれましたが、わたくしは日本語が話せませんし、雷蔵さんは、英語がお得意ではないようです。おたがいに直接、言葉で、おたがいを理解し合うことはできなかったわけです。それにわたくしは「はずかしがりや」のほうですし、雷蔵さんも、どちらかといえば、うちに強いものをもっていても、それを外にあまり表現しない、ひかえめの人のようです。それですくなくともわたくしは、別になんの不自由もおぼえませんでした。言葉というものを越えた、なにか人間同士の理解にみちびかれながらわたくしは、こんどの仕事をおえることができました。こんどの映画はわたくしにとって、一番思い出のふかい仕事となりました。

 わたくしは、いつまで日本にいるかわかりませんが、父の仕事の関係もありますし、家族たちがいるあいだは、わたくしもいるつもりです。わたくしは、1938年四月生れですが、日本の若い人たちの生活も、もっと見、知りたいとおもっています。日本の若い人たちの生活は、未来と、希望と、明るさにあふれているようです。アメリカでも、若い人たちは、同じように生き生きと、青春の日をすごしていますが、わたくしの家にきたある日本の人から「日本では、もっと若い人が自由に暮らしている」ときかされたことがあります。

 若さということは、人生に二度とないよろこびで、それが自由に行使されることは望ましいことにちがいありませんが、無制限に行使されるということはあり得ないはずです。アメリカでは、若い人たちの交際なども、いくら自由だからといって、勝手に青春を浪費するような生活がゆるされているわけではなく、両親の理解とアドバイスの下に楽しく進行しています。日本のほとんどの家庭でも、それは同じことではないかとおもいます。

 よくわたくしは、「結婚は・・・?」ときかれます。もちろん結婚はしなければなりませんが、結婚をするためには、まず恋愛をしなければなりません。わたくしにはまだ恋愛がありませんから、まずそれをする必要がありますわね・・・。それまでは、演技の勉強をつづけていきたいとおもっています。日本語も、うんと勉強して、上手にならなければなりません。そして、こんど雷蔵さんにお会いしたときには、もっと自由に、お話ができるように・・・。

伊藤監督から指導を受けるリクターさん

わかい女性59年9月号より)