雷蔵 向うへ行って、言葉が通じた?長谷川一夫先生は総てパントマイムでうまく行ったそうですが、裕見子さんの場合はどうでした?

裕見子 英語なんていったって全然通じないワ。エレベーターに乗っても、全然通じないので、何遍いっても、エレベーター・ボーイに、ノーノーといわれて腐ったわ。まアやはり長谷川の叔父さん式が、手っ取り早いわネ。

雷蔵 たべ物はどうだった。

裕見子 全然だめよ。血のついたヴォリュームのあるテキが、よく出るんですが、私はとても食べられないないから、ホット・ケーキとオレンジ・ジュースばっかり食べていた。おいしいと思ったのは、ハワイのパイナップル、これは素的だったワ。日本では味わえないおいしさだったワ。

雷蔵 僕も暇がたっぷりあったら、寒い時に、ハワイへ行きたいネ。冬に水泳が出来るんだから、素的だ。アメリカでは、どこがよかった。

裕見子 ディズニー・ランドが素晴らしかった。漫画のディズニーが経営している子供の楽園なんですが、大人だって楽しめるワ。お伽の国、西部の国、冒険の国といろいろ趣向がこらしてあって面白かった。もう一度行ってみたいワ。いつでも使える何十枚綴りのチケットを買って来たの、いつかもう一度行こうと思って−

雷蔵 何十年たってから、お婆さんになった裕見子さんが、そのチケットを持って、ディズニー・ランドを訪れたら、向うで驚くだろうネ。(笑)

裕見子 雷蔵さんの毒舌には、長谷川の叔父さんも、太刀打ち出来ないって、いっていたわよ。

雷蔵 いや、別に毒舌ではありませんよ。一寸もののはずみで、そう思っただけですよ。(笑)

裕見子 人のことだと、すぐそんな風に思ってみるのよ、雷蔵さんって方は・・・

雷蔵 失言取消しましょう。アメリカでの失敗談は、何かありませんか。

裕見子 駈け足旅行だから、返って失敗している暇が余りなかったけれど、銀貨に何セントとかいてないので、二十五セントをチップにやることになっているのに、五セントしかやらなかったりして、変な顔されたりしちゃった。それからアメリカへ行って、メイド・イン・ジャパンを買うまいと気をつけていたのに、一寸気に入った絹のマフラを買って、あとで気がついたら、メイド・イン・ジャパンだったワ。

雷蔵 巧妙に出来ている、メイド・イン・ジャパン物が、相当アメリカへ行っているそうだから、マフラの外にも、まだまだ買っているよ。所でメイド・イン・ジャパンの映画の評判はどうだったの

裕見子 二世の方のいうには、今ほど日本ブームの時はないのだから、今こそ、日本映画がアメリカへ進出するチャンスだって、口を揃えていっていたワ。だけどアメリカで受ける写真を別に作らなければ無理のようネ。東映の「鳳城の花嫁」など、単純で明るいので受けていたワ。日本の「ローマの休日」だっていっていたワ。私たちのため、開いて呉れたパーティでも、今までにない盛大さで、これも日本ブームのお蔭と、アメリカに取っては、日本は大切なマーケットなので、こんな盛大な歓迎振りをしたのだと、二世の方がいっていました。

雷蔵 スタアでは誰々に会った。

裕見子 グレン・フォード、チャールトン・ヘストン、ユール・ブリンナー、ミッチィ・ゲイナー、コーネル・ワイルド、アンソニー・パーキンス、マーロン・ブランド、エルビス・プレスリー。パラマウントの偉い方でアドルフ・ズーカーさんなどにも会ったワ。中でもユール・ブリンナーは素晴らしかった、とても好い人よ。

雷蔵 日本のスタアとくらべてどう思った。

裕見子 生活的にまるで比較にならないし、一年一本か二本しか出ないで、悠々と生活出来るんだから、立派な演技も出来ますよ。スタアを大切にすることは、うらましいばかりよ。

雷蔵 アメリカから帰ったら、とたんに日本のスタアの貧困さを味合いましたか。

裕見子 そりゃ帰るとたんに、お仕事が待っていましたが、帰ってくれば、やはり日本の方がいいし、日本ほど、ありとあらゆるものを食べられる国はないそうですから、日本に生れたことを感謝しますワ。

雷蔵 帰ってからの仕事は、何をやっているの?

裕見子 「丹下左膳」の櫛巻お藤と「大菩薩峠」(第二部)のお豊の二役ですが、二役ともぼてつでは困る役なので、どう工夫しようかと考えながら、アメリカへ出発したんですが、三週間の駈け足の一人旅で、すっかり疲れて、帰って来たら、丁度、お藤やお豊向きのやせ形になっていました。何が幸いになるかわかりませんネ。

雷蔵 裕見子さんは、今度の旅では、いろいろ修業して来ましたネ。

裕見子 高峰秀子さん御夫婦の夫婦愛を目の当りにみて、結婚に憧れを持って来たことと、一人旅して、女中、美容師、お付の役を全部一人でやって、その苦労を知ったことは、私に取っては大きな収穫でしたわね。

雷蔵 裕見子さんの、今度の旅の収穫は、演技女優として大きなプラスとなりますよね。僕もネ、これで芸の上にプラスになるような人間修業を努めています。

裕見子 それは解りますワ。「朱雀門」をみた時失礼ですが、びっくりしましたワ。あんまり立派になられたので−私が雷蔵さんと共演した「怪盗と判官」や「踊り子行状記」の時分は、まだ雷蔵さんは大映入社早々でしたからネ、あの頃の雷蔵さんとくらべるとその御修行の並々ならないことが解りますワ。「忠臣蔵」の浅野内匠頭も素晴らしいですってネ。

雷蔵 大分おだてますネ。それ程でもありませんが、只一生懸命ですよ。浅野内匠頭の役は長谷川先生の持ち役を譲って頂いたのですから堅くなりましたよ。今度「旅は気まぐれ風まかせ」という明朗な喜劇風の時代劇を作りますが、僕も気に入った役なので、張り切っていますよ。根上淳さんと共演ですから、僕も精々現代劇調で行く積りでいるんです。裕見子さんともまたその内お手合せ願いたいものですネ、裕見子さんなら相手に取って不足はありませんからネ。

裕見子 とんでもありませんがご立派になった雷蔵さんと是非共演させて頂く機会を得たいものです。大映にいた時分は、娘役ばかりしていましたが、自分自身が娘時代だったのに、かえって自信がありませんでしたが、娘時代をややすぎた今の方が、娘役をやっても壺が解るようになりました。

雷蔵 それは裕見子さんが、演技女優として、立派に成長された証拠ですよ。芸で年齢をみせることこそ演技者ですよ。長谷川先生などその名人ですよ。私らも長谷川先生に見習って、立派な演技者になりたいと願っていますよ。

裕見子 私が漸く今日あるのも、長谷川の叔父さんのお蔭とありがたく思っています。

雷蔵 一にも二にも勉強です。

(映画ファン58年5月号より)