市川雷蔵の「微笑」 - 三島原作映画の市川雷蔵 −

1 『炎上』

 昭和三十三(1958)年八月、映画『炎上』は公開された。その前月、雷蔵は後援会会誌にこんなことを書いている。 

  - 私が『炎上』で丸坊主になってまであの主人公の宗教学生をあえてやるという気になったのはもとより、三島由紀夫氏の原作『金閣寺』の内容、市川崑監督をはじめとする一流スタッフの顔ぶれにほれ込んだことも大きな原因ですが、それと同時に私はこの作品を契機として俳優市川雷蔵を大成させる一つの跳躍台としたかったからにほかありません。(市川雷蔵『雷蔵、雷蔵を語る』朝日文庫、2003年9月)

 『炎上』は雷蔵が映画デビューから五年目、四十八本目にして初めての現代劇である。これまで時代劇で人気を博した雷蔵は、現代劇を跳躍台に選んだ。しかし、大映からは今まで築いてきた「美剣士」のイメージが壊れると反対され、スタッフからも雷蔵ではこの役は務まらないと思われていた。

 一方で、映画化決定の際、三島由紀夫と市川崑監督は、主演は市川雷蔵だと期せずしてイメージが一致していた。雷蔵は、もともとファンであった原作者の三島がそう言っていたことを知り、益々意欲がわいたという。雷蔵は、周囲の反対を押し切り会社を説得するのに一年を費やしている。

 三島由紀夫『金閣寺』の映画化に、ここまでの執念、確信をもっていたのには雷蔵なりの計算が働いてのことだろう。

 一つは、三島由紀夫という知名度の高い作家の作品であったことが挙げられる。三島は、当時すでに『愛の渇き』(新潮社、昭和25年6月)『永すぎた春』(「婦人倶楽部」昭和31年1月〜12月)などで純文学の読者だけでなく、「婦人」層をも獲得したベストスラー作家になっていた、またこれらの作品も映画化され、三島が演技を絶賛していた浅丘ルリ子、『からっ風野郎』(昭和35年)では三島の相手役もした若尾文子などが女主人公を演じ、好評を得ていた。

 次に、小説の内容が昭和二十五(1950)年に実際に起きた金閣寺放火事件を題材にしたものだったことが挙げられる、国宝が放火されるという衝撃的な事件は、当時の人々には記憶に新しいものだったろうし、三島の小説を知らない人々にとっても、事件の映画化として話題性があった。

 以上のようなことを考えて、雷蔵は興行的にも期待がもてると判断したのではないだろうか。それと同時に、雷蔵は三島文学の最高峰『金閣寺』を読んで、武者振いのような感動、役者魂に火をつけられたような感覚をえたのではないだろうか、主人公溝口の美への憧憬と疎外感、難解な観念、そして金閣寺の放火に赴く心理・・・。それらを鮮やかな独白体で表現し、現実の事件を芸術作品にまで昇華しえた三島由紀夫の文章は、表現者市川雷蔵を大いに感化したことだろう。

 従来の「市川雷蔵」のイメージを払拭するために、雷蔵は対極に位置するような役を選んだ。化粧を施した端整な顔と美しい声の「美剣士」から、すっぴんの顔を歪ませながらしゃべる屈折した青年へ、まさに変貌を遂げる俳優の姿を見せつけたのである。