市川雷蔵の「微笑」 - 三島原作映画の市川雷蔵 −

3 三島文学の「微笑」

 三島由紀夫が描き、市川雷蔵が体現した反時代的な青年は、三島の理想とした反時代的な「美」を象徴する人物でもある。三島はこういった青年を描くときに、共通した特徴を持たせている。それが「微笑」である。

 三島の小説の中で、主人公がしばしば「微笑」することに注目したい。なにげなく書かれた「微笑」という言葉は、三島の描く主人公のシンボルとなっている。ここからは映画を少し離れ、主人公が「微笑」する小説を時代順に並べて差異や共通点を見ていくことにする。

 まずは『潮騒』(新潮社、昭和二十九年六月)の新治の「微笑」である。

 新治は微笑して、壁際に坐って膝を抱いた。そうして黙って、人の意見をきいているのが常である。(第三章)

 新治はというと黙って膝を抱いて、にこにこしながら皆の意見をきいているだけである。あれは馬鹿にちがいない、とあるとき機関長が船長に言った。(第十四章)

 一つ目の引用は、青年会の例会へ行った時、もう一つは、沖縄へ向かう船の中での新治の描写である。どちらも新治以外の若い漁師仲間や船長たちが「漁の自慢をしたり」、「愛情と友情について」とか「食塩注射と同じくらいの大きさの葡萄糖注射があるか」などを熱心に「議論」している場面である。新治はそういう「議論」には参加しない。ただ「微笑」して聞いている。しかし人一倍海や漁のことを考えているし、いざとなれば誰もが怖ける嵐の海にも飛び込む青年である。

 次は『金閣寺』である。一見、主人公の溝口に「微笑」する余地があるとは思われないが、実は「金閣を焼かなければならぬ」と決意してから、「微笑」し出すのである。

 「俺にはわかるんだ。何かこのごろ、君は破壊的なことをたくらんでいるな」

(中略)

 「いや。・・・何も」

 「そうか。君は奇妙な奴だな。俺が今まで会った中でいちばん奇妙な奴だ」

 その言葉は私の口辺から消えぬ親愛の微笑に向けられたものだとわかったが、私の中に湧きだした感謝の意味を、彼が決して察することはあるまいという確実な予感は、私の微笑をさらに自然にひろげた。(第八章)

 大学の友人柏木との会話である。引用の「感謝の意味」とは、柏木が溝口から未だ返されぬ金を老師(住職)にせびったことで、溝口はこれ以上寺にいられなくなり、金閣寺の放火へ踏ん切りがついたという、そのことへの感謝である。これまで溝口は、「人生の幸福や快楽に私が化身しようとするとき」、「金閣」によっていつも阻まれてきた。しかし「人生に参与」することを諦めてからは、「金閣」は溝口の前に現れず、溝口は「微笑」し出すのである。

 三つ目は、『剣』である。この作品は、作者が「微笑」について言及しており、主人公国分次郎の生き方の象徴として「微笑」が意図的に使われている。

 友だちの「下らない」お喋りは、ただ黙って微笑してきいていた。(その二)

 その微笑は美しかった。次郎が「くだらないこと」に耐え、煩雑で無意味なことに耐えるときの表情は、決って、その微笑、ただ黙って浮べる微笑なのだ。(その三)

 次郎にとって「剣」以外すべて「くだらないこと」で、「剣」以外の生活に耐えるときに、次郎は「微笑」する。そして、ここで注目したいのは、次郎の「微笑」が美しい、ということである。このことは後に述べることにする。

 最後は、『奔馬』(「新潮」昭和四十二年二月 - 翌八月)である。勲たちの「昭和維新」が実行前に検挙され、長い裁判の結果、勲が刑を免除され一年振りに家に帰った場面である。

 勲は家へ帰ってから、微笑するばかりで何も言わなかった。(三十八)

 佐和は大声で獄中の物語をして人々を興がらせていたが、勲は微笑を泛べて黙っていた。(三十八)

 勲は、「昭和維新」のためにこれまで生きてきたのだが、行動をおこす前にあっけなく捕えられてしまった。若い勲が挫折し、目的を喪失したときに「微笑」しているのが分かる。

 このように、四作品の主人公に「微笑」する場面がある。いずれも主人公は外界との関わりを回避したいときに「微笑」している。いわば「微笑」は、主人公の内面を覆い隠す仮面である。そして、「微笑」することで、主人公が一般人とは交わらない特別な人物、「選ばれた者」(『金閣寺』)であることを示しているとも言える。