昔、明智左馬之助という武将が、愛馬を駆って一気に渡りきったという琵琶湖−雷蔵さんのまなざしのなかに、なにか秘められたものがうかがわれるようです・・・

“明智左馬之助湖水渡”の碑(琵琶湖文化館すぐそば)
滋賀県立琵琶湖文化会館(休館中)
〒520-0806大津市打出浜地先琵琶湖文化会館
TEL:077-522-8179/FAX:077-522-9634
◆琵琶湖畔に建つ「明智左馬之助湖水渡」の碑
 「川角太閤記」によれば、本能寺の変後、安土城に入って近江一円の掌握に当たっていた明智左馬之助(秀満)が、山崎の戦いでの敗報に接し、近江坂本城に退却する際に、堀秀政の軍と遭遇し、この付近から馬を湖水に乗り入れ渡り切ったとされている。

 碑左側面に、その日「天正十年六月十四日」が刻んである。

明智左馬之助湖水渡碑案内板
明智左馬之助湖水渡りのところ
 天正十年(一五八二)六月二日、明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。
 光秀の弟左馬之助光春は、信長の居城安土城を攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き返す途中打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがりびわ湖を渡り坂本に帰った。
しかし時すでに遅く秀吉の軍勢に囲まれ、六月十四日、光秀の妻女らとともに、城と命運をともにした。
 湖水渡りの勇姿は、今も講談などで語りつがれている。
 
◆アクセス
京阪電車石坂線の島ノ関駅から徒歩5分程、JR琵琶湖線大津駅から徒歩20分程(バス便も有り)