ぼんやりしててもしっかりもの

親の私が賞めるのもおかしな話ですが、雷蔵のいいところは仕事に対して真剣なことと、大へんに性質が真面目であるということです。私の家にくるまで、雷蔵としても、ちょいちょい舞台にも出ていたようですが、最初は別に、これといった印象は残っていませんでした。

私が武智歌舞伎の「つくし会」の朗読会の指導にいった時でした。その時、「修善寺物語」の頼家をやっている役者が、割に調子よく役にのって芝居をしているのが強く印象に残り、彼に八十点の点を与えました。この役をやっていたのが雷蔵で、私らのいうことも素直に聞きなかなか熱心な役者だと思いました。これが私の印象に残ったはじめです。

子供のない私は一生子供は貰うまいと決心していながら、ある人の紹介で雷蔵を養子に迎えたこともこの時の印象が強く私に残っていあたからだと思います。

その後同じ武智歌舞伎の井上流の「妹背山道行」の求女で、皆さんにも認められるようになったようです。蓑助君も云っていましたが、「雷蔵君は稽古中は何かぼんやりしているが、いざ舞台になると、ちゃんとその役をうまくやってのける。なかなかどうして細かい神経の持主だ」といっていました。

たしかに、蓑助さんの言葉は真を得ていると思いました。雷蔵は一見ぼんやりしている面があります。よくいえば春風駘蕩といった豊かな大らかさを持っています。悪くいえば、気力がないように見受けられ、心配でもありますが・・・。が、いずれにしても、いざとなると、意外にしっかりしたことを見せるのは、やはり、親馬鹿というのでしょうか頼もしくも思え、安心してまかせられる気持にもなるのです。

歌舞伎時代の雷蔵は、立役が得意で、忠臣蔵五段目六段目の「勘平」や「石切り」「実盛」などがそれでした。若手は誰でも最初は女形をやらせられるのですが、雷蔵は女形にしては身体が大きすぎるので、結局、立役が多くなり、自分でも得意にするようになったのだ、と思います。

若い人たちの映画入りが盛んだった頃、大映の所長さんから映画入りをすすめる話がありましたが、私としては今が一番大切な時であり、この間の舞台のブランクが心配だったので、大して乗気ではなかったのですが、若い人の修業と思って許しました。どちあらかといえば内気な性格なので、映画界のはげしい空気を味わうのも、またよい勉強になるとおもったからです。

私は、雷蔵の映画もつとめて観たいとは思っていますが。観る時間がなく、デビュー作である「花の白虎隊」その他二、三の作品しかみていないのは残念です。作品の出来については、私たちの考えが映画とは違いますからよく判りませんが、正直にいっていいと思ったことはありません。ただ一作品ごとに馴れてきたとは思います。

私としてはなるべく早く、舞台に帰らせたいと思いますが、まだ契約期間が残っており、すぐというわけにはいかないでしょう。ともあれ映画界にいる間は、それなりに成功して欲しいとおもっています。(56年3月10日発行 平凡スタアグラフ 市川雷蔵集より)