市川雷蔵ブームとは何か

市川雷蔵が甦った。1969年7月に三十七歳で世を去った時代劇スターが、いま、ブーム現象を呈するほどにファンの熱いまなざしを向けられている。

もともと市川雷蔵ファンは死後も一貫して根づよく存在していた。たとえばわたしも関わっている“茅ヶ崎映画村”で珍しい市川雷蔵主演作品をプログラムに組むと、きまって女性ファンが二時間三時間の交通も厭わずに駆けつけた。そんな勢いが、ここへきて、さらに急速に高まったのである。

おそらく発火点になったのは、昨年の二月から三月にかけて東京池袋の映画館・文芸坐で催された森一生特集であろう。この特集は前年末、山田宏一とわたしの編集で刊行された森一生ロングインタビューの書『森一生映画旅』(草思社)にちなんだもので、上映作品には市川雷蔵の主演作がたくさん含まれていた。森一生は市川雷蔵ともっとも多くコンビを組んだ監督であり、雷蔵が生涯に出演した映画153本のうち30本を撮ったからである。特集上映会は大成功に終り、とりわけ雷蔵作品は熱狂的なほど人気を集めた。そこで、文芸坐ではそのあとすぐあらためて市川雷蔵特集を組んだ。これも多くの観客を集めて、アンコール上映がさらに行なわれ、それが二度三度と重ねられていった。

こんなふうにして市川雷蔵ブームが盛り上がったのである。秋には『毎日グラフ』が市川雷蔵特集の別冊を出し、あっという間に売り切れた。NHK衛星放送でも市川雷蔵の主演作が連続放映された。

いま、五月現在、文芸坐では何度目かの特集が催されているし、まもなく大阪で市川雷蔵の特集上映会が開かれる。そして六月には札幌と名古屋、命日のある七月には京都、神戸、広島、倉敷、高松と、各地での上映会がすでに決定したいる。

この市川雷蔵ブームは、さらに別の方向へ展開していきつつある。やはり雷蔵とコンビを組むことが多かった三隅研次監督作品特集上映会が、五月から六月にかけて東京渋谷のユーロスペースで催されるのである。この特集は前評判が高く、秋には京都での開催も計画されている。

 

むろんまずは回顧的な心情によるものであろう。とにかくどの作品を見ても市川雷蔵は美しく気品があって華やかで、ああ、これが映画スターを見ることの楽しさだ、と感嘆せずにはいられない。たんに昔からのファンのみならず、雷蔵の没後に生まれた若い観客さえも、映画の黄金時代へむけての懐かしい想いをそそられるのである。

この回顧的ムードは、しかし、裏返していえば、明らかに昨今の映画における欠落を告げている。じっさい市川雷蔵のような映画スターはいまや皆無であり、雷蔵が華麗な活躍を見せたような時代劇はつくられなくなって久しい。テレビで時代劇が繁盛しているとはいえ、雷蔵作品ほどに優雅さと緊迫感にあふれたものはなかろう。

市川雷蔵の出演作は、最初期の一本を除いて、すべて大映作品である。テレビドラマには一度も出なかった。そのように純粋に映画だけのスター、一つの映画会社の専属スターは、いまはもういない。かって各映画会社の撮影所は“夢の工場”と呼ばれたが、市川雷蔵の魅力とは、まさしくそのことに深く関わっていよう。いま、市川雷蔵に魅せられている多くの映画ファンは、撮影所システムの豊かな力にこそ感動しているにちがいないと思われるのである。

なにより三隅研次の作品がそのことを鮮明に語る。今回の特集で二十四作品が連続上映されるが、全作ニュープリントということもあって、画面の艶っぽさが、セットの荘重さと豪華さが、キャメラの流麗さが、大映京都撮影所の豊かな力をたっぷりと示してやまない。そのなかでこそ、市川雷蔵の華やかで気品のある美しさが輝いているのである。むろん三隅研次の卓越した演出がそれを可能にしていることは疑いもないが、『斬る』(1962)や『眠狂四郎無頼剣』(1966)などの名高い傑作だけではなく、全作品が撮影所システムならではの魅惑をたたえて迫ってくる。

そうした撮影所システムは1970年代に崩壊の一途をたどった。すでに大映京都撮影所それ自体が姿を消してしまったが、その過程で、映画の命とでもいうべきもののある形もまた失われたのである。

市川雷蔵ブームとは、そのような命に感応して起こったものであろう。その意味では明らかに回顧的な動きにちがいないが、くりかえし強調すれば、そこにひそむ現在性を見抜くことを怠ってはなるまい。

市川雷蔵の魅力の一つは、つねに死の影を濃密にたたえていることにある。それがもっとも際立つのは三隅研次の作品で、さまざまな生と死の戯れと闘いにおいて甘美な感動が結晶してゆく。いうまでもなく映画とは、その誕生以来、一貫して死との戯れと闘いを魅惑の核心にしてきた。それからすれば、雷蔵作品の人気は映画表現の普遍性に根ざしているのであり、つまり映画の現在に深く関わっていよう。

回顧と普遍と現在の重なり、甦った市川雷蔵は、いま、そんな映画的ドラマをスリリングに生きている。(岩波書店発行「よむ」91年7月号より)