ブルース・リーと市川雷蔵

“空”を見つめる眼差しを持った二人のヒーロー


20数年ぶりに改めてこの伝説のスター、ブルース・リーを見ていて、ふとその眼差しにはっとするものを感じた。初めて見た時は、その華麗なクンフー・アクション、贅肉を削ぎ落とした全身バネのような強靭な肉体といったフィジカルな面がまずその驚きの対象であった。もちろん、それだけでも映画史に残るスターとして語るに十分な要素といえるが、それだけではない。もっとメンタルな面で、今回はさらに気づかされたという感じである。

その眼差しにはっとするものを感じたというのは、『燃えよドラゴン』を見ていて何度も感じた感覚であったが、それは敵と対峙し、見えをきる度にブルース・リーが見せる空(くう)を見つめる眼差しにある。“空を見つめる”・・・・とは、何とも抽象的な言い方だが、まさにこれこそが、ブルース・リーが世界中のファンを魅了した秘訣なのだと言える。それは、具体的に『燃えよドラゴン』で言うなら、その視線の焦点は、シー・キエンやボブ・ウォールが扮した敵たちではなく、もっと遥か彼方、遠い無限の方向にある。その全てを見通したような、遠く神秘的な視線は、ある種世の中を達観した醒めたものということも言えるかもしれない。

13歳の時からクンフーを学び、大学時代に中国拳法の著書まで出版しているブルース・リーは、学術的にもクンフーというものを修得していたようだが、『燃えよドラゴン』の時点では32歳。小柄な彼は見た目は実年齢よりもずっと若く見えるが、この視線の雰囲気は、それに反して円熟した40代以上のものだ。クールで悟りきったような重みがある。考えてみれば、鍛えられた強力なパワーを発揮するアクション・スターというなら、世界に山ほどいるだろう。しかし、こうして20数年が経っても語り継がれる希有なアクション・スターは他に例を見ない。メンタルな部分においても、彼の表現力はスーパー級であったかということなのである。

このように、“空を見つめる”視線を投げかけた段階で、すでに敵を打ちのめし、しかも東洋人の男性独特のストイックな静けさをもつブルース・リーのあの雰囲気は、“気”を武器とする東洋武術の特徴でもあり、それは同時に、精神性の高い東洋独自の技の美学を感じさせる。そして、同じ雰囲気を持った共通するヒーロー像として思い浮かんでくるのが、日本の不世出のスター市川雷蔵が演じた多くの主人公たちである。

こちらは“拳”ではなく“剣”の方であるが、中でも有名なのは、柴田錬三郎が生み出した孤高の剣客、妖剣“無双正宗”を駆使する眠狂四郎。この狂四郎を演じた役者は数限りないが、“空を見つめる視線”で敵を圧することが出来たのは雷蔵狂四郎だけ。他にも『斬る』『剣』『剣鬼』等、同じ気配を漂わせたヒーローたちは、その153本にも及ぶ作品群の中にキラ星のごとく存在している。考えてみれば、東洋を代表するこの二人のスターには共通する点が多いのである。

ブルース・リーは、1940年、芸人の子としてサン・フランシスコに生れている。うまれながらにして芸人の血を持っていた彼は、直後に香港に渡ってからも子役として映画に出演し、そのまま芸の道に進む。が、白人優位社会の異国の地で、移民の子として、しかも中国人社会では最下層とされる芸人の子として生れたブルース・リーは、この社会的な特殊な環境には感じることも多かったはずだ。生まれながらに自分が背負った宿命をむしろバネにして努力と精進を重ね、オリ
ジナルな自分の芸を磨いていったのである。欧米の主流である拳銃アクションには見られない生身の肉体を武器にしたアクションは、白人の大柄で鈍重な肉体では真似のできない、アクロバティックな美しさに満ちている。堂々とアメリカ映画の中で、東洋人のしなやかな肉体が踊り、台詞ではない視線が、雄弁に内面を表現しえたのである。

一方、幼い頃から歌舞伎の世界で育った雷蔵は、歌舞伎界の因習的な徒弟制度に反発を覚えて飛び出し、リベラルな映画界に可能性を見出し、自ら飛び込んだ異端児であった。幼くして社会の影の部分に敏感に反応した雷蔵も、後の映画で見せた個性は、実年齢よりも遥かに大人に見える達観した燻し銀の魅力だった。剣豪を数々こなした彼も、肉体的には華奢で頑強とは程遠いイメージ、まさに気配で相手を打ち負かす・・・・円月殺法を構えた妖気さえ漂う狂四郎を前にして、全ての相手は滅びていった。

奇しくも、ブルース・リーも雷蔵も30代の若さでこの世を去った。この伝説的な大スターたちを思う時、人生は生きた長さは問題ではないことを実感する。多分、人間が一生に使えるエネルギーはある程度決まっていて、彼らは短い時間の中に、普通の人間の一生分を生きてしまったのだと思う。だからこそ、伝説になりえたとも・・・・。ひょっとしたら、あの達観した眼差しは、自らの短い生涯をすでに予感してのものだったのではないか、とすら思えてくるのである。(1997年刊キネマ旬報臨時増刊「ブルース・リー」より)