月 | 場所 | 興行 | 演目 | 役名 |
11〜12 | 大阪歌舞伎座 | 莚蔵襲名初舞台 | 中山七里 | 酒屋の娘はな |
初舞台「中山七里」のはな |
三代目市川莚蔵 |
1 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同大歌舞伎・中村鴈治郎十三回忌追善 | 勢獅子 | 黛(まゆずみ) |
2 | 京都南座 | 如月大歌舞伎・中村鴈治郎十三回忌追善 | 中村鴈治郎 | 祇園の芸者菊次 |
5 | 〃 | 五月興行大歌舞伎 | 三人片輪 | 侍女貴船 |
椀久末松山 | 芸者小玉 | |||
6 | 〃 | 六月興行大歌舞伎 | 中山七里 | 酒屋の娘はな |
8 | 〃 | 大歌舞伎納涼興行 | 瞼の母 | 芸者およう |
伊勢音頭 | 仲居お杉 |
1 | 京都南座 | 東西合同大歌舞伎 | 鬼法眼三略巻 | 腰元こわだ |
延命院秘事 | 常磐津師匠弟子おさん | |||
2 | 〃 | 東西合同歌舞伎 | 仮名手本忠臣蔵 | 茶道貴仙、腰元 |
4 | 大阪中座 | 四月興行大歌舞伎 | 鏡山 | 腰元伏家 |
5 | 名古屋御園座 | 東西合同大歌舞伎 | 積情雪貰乳 | 女中おきく |
封印切り | 仲居 | |||
6 | 大阪中座 | 東西合同大歌舞伎 | 義経千本桜 | 梶原四天王 |
萍がたり | 薪苅娘お花 | |||
三社祭 | 後見 | |||
7 | 京都南座 | 東西合同大歌舞伎 | 二蓋笠柳生実記 | 坂部三十郎 |
銭形平次捕物控・おたみの死 | 長屋の娘 | |||
8 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同納涼興行 | 妹背山 | 腰元双 |
9 | 名古屋御園座 | 東西大歌舞伎 | 忠臣蔵 | 女中おその・茶道珍斎・腰元・芸者琴糸 |
10 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同大歌舞伎 | 忠臣蔵 | 女中おその・茶道珍斎・腰元・芸者琴糸 |
12 | 〃 | 東西合同大歌舞伎師走興行 | 飛ぶ唄 | 名倉の女中 |
伊勢「進富座」で見つけた興行記念(昭和23年9月28日開演とある)の看板。右は莚蔵・九団次の部分。 |
7月南座筋書 |
1 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同大歌舞伎初春興行 | 忠臣蔵 | 茶道珍斎 |
助六 | 振袖新造 | |||
2 | 京都南座 | 東西合同歌舞伎 | 忠臣蔵 | 茶道珍斎・腰元・芸者 |
3 | 〃 | 〃 | 新梅ごよみ | 芸者おこう |
有馬猫 | 奥女中潮路 | |||
4 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同歌舞伎四月興行 | 文七元結 | 角海老待人 |
◆5月「つくし会」結成中村扇雀(現:沢村藤十郎)実川延次郎(三代目実川延若 91年没、享年70)、嵐鯉昇(北上弥太郎、8代目嵐吉三郎87年没、享年55)
莚蔵の初舞台のおそさは、彼の少年時代が戦時中であったということだけではないように思えるのである。因みに、彼とおない年である成駒屋の御曹司中村扇雀は昭和16年、満九歳で初舞台をふんでいるのである。
ともかく市川莚蔵にはいわゆる子役時代はないのである。十七歳で歌舞伎役者になったが、門閥のやかましい歌舞伎界では、彼においそれと役のまわってこないのは、むしろ当然である。
同じような立場にある嵐鯉昇(吉三郎息、後の北上弥太朗)、中村太郎(成太郎息)、中村紫香(霞仙息)ら若手十余名が集って勉強会「つくし会」を結成した。
今のあいだに勉強しておかねば、なかなか役のつかない歌舞伎の世界では困る−という考えから、まず脚本の朗読からでも始めようという殊勝な心がけであった。その第一回の脚本朗読会は、千日前にあった以前の大阪歌舞伎座の前の千鳥屋で行われた。昭和24年5月22日のことである。(権藤芳一 花のある役者 歌舞伎俳優市川雷蔵の記録 「侍 市川雷蔵 その人と芸」より)
8 |
名古屋御園座 | 八月興行納涼大歌舞伎 | 伊勢音頭 | お玉 |
恋女房染分手綱 | 腰元若菜 | |||
四谷怪談 | 講中 | |||
9 | 京都南座 | 市川寿海襲名披露 | 伽羅先代萩 | 腰元八重 |
名月八幡祭 | 芸者おつた | |||
11 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同歌舞伎霜月興行 | モルガンお雪 | 左阿弥女中お豊 |
12 | 大阪文楽座 | 第一回武智歌舞伎公演 | 熊谷陣屋 | 敦盛 |
野崎村 | 久松 |
◆第一回武智歌舞伎公演 12月7日から十日間、場所は大阪文楽座、演目は「熊谷陣屋」「野崎村」
この公演において莚蔵は「熊谷」の敦盛と「野崎村」の久松を演ずる。現行の「熊谷」の演出では「敦盛」という役は登場しない。しかし武智演出では、障子の陰で動き、鎧櫃の中に隠れている「敦盛」をも一つの役としてないがしろにせず、能「清経・音取」の型の扮装をとり入れ、プログラムに演者を明記したのである。そうした役も莚蔵はまじめにやり、「観照」(25年2月号)の合評会で、沼艸雨も「藤の方(扇雀)の次に莚蔵の敦盛がよかったと思う」とほめている。しかし、本役はやはり「久松」であることはいうまでもない。同じ合評会で次のように語られている。
沼 莚蔵の久松は上手とはいえないが、清潔な感じだ。
大西(重孝) 案外よい味を出していた。今後どんな役どころに進むのか楽しみだ。
この公演の関心はなによりも武智の演出にあり、話題はもっぱらそこに集中した。そして役者に関しても、当然のこととして「熊谷」の鶴之助、「藤の方」「お染」の扇雀の演技に注目された。特に扇雀の進境は目を見はらせるものがあった。(権藤芳一 花のある役者 歌舞伎俳優市川雷蔵の記録 「侍 市川雷蔵 その人と芸」より)
2月南座筋書 | 4月大阪歌舞伎座筋書 |
1 | 名古屋御園座 | 初春東西大歌舞伎 | 義経千本桜 | 片岡八郎 |
一本刀土俵入 | 若船頭 | |||
3 | 〃 | 三月歌舞伎 | 天衣紛上野初花ー河内山ー | 浪路 |
4 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同歌舞伎 | 三月堂 | 法師 |
素襖落 | 三郎吾 | |||
5 | 大阪文楽座 | 第二回武智歌舞伎公演 | 妹背山 | 求女 |
俊寛 | 千鳥 | |||
勧進帳 | 四天王 |
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(広告)大阪歌舞伎座 東西合同大歌舞伎 |
◆第ニ回武智歌舞伎公演、場所は文楽座、演目は「妹背山道行」「俊寛」「勧進帳」
莚蔵は「道行」の求女、「俊寛」の千鳥の二役、千鳥は最初扇雀が予定されていたが、病気のため莚蔵が代役を勤めた。「観照」(25年10月号)の合評会から関係部分を引用する。
大西 莚蔵の求女はよかった。キリッとした男ぶりで、ためた力が極まり極まりによい型を見せていた。
沼 井上流のイキを素直にうけ入れていたのだ。お三輪の蓮っ葉なところに対して、貴族的な、そしてボヤッとしたものをよく出していた。
多田(嘉七) 単なる色気でなくて、淡海公の肚を見せていたね。
沼 求女に性格らしいものをふきこんだのは武智君の力だ。
激賞といってもよいほめぶりである。事実この「求女」は、歌舞伎役者として見せた彼の演技の中で最高のものであり、谷崎潤一郎も賞賛していた。井上流によったこの「道行」は井上八千代のきびしい指導のたまものではあるが、彼のもつ風姿、ニンといったものにぴったりの役どころでもあったのである。まだ十九歳にならない彼の演技力がそれほど完成していた訳ではない。事実、同時に演じた「千鳥」は、決して好評ではなかった。しかし、「求女」がよく「千鳥」が悪かったという結果は、彼の進む方向が、女形よりむしろ二枚目であるということを、だんだんはっきりさせてきたともいえるのである。(権藤芳一 花のある役者 歌舞伎俳優市川雷蔵の記録 「侍 市川雷蔵 その人と芸」より)
8 | 京都南座 | 東西花形歌舞伎・十一世仁左衛門襲名披露 | 勧進帳 | 伊勢三郎 |
修善寺物語 | 楓 | |||
道行 | 求女 | |||
9 | 大阪歌舞伎座 | 東西合同大歌舞伎 | 伊勢音頭 | 蔦野 |
涼みの舟 | 町娘おゑん | |||
10 | 京都南座 | 東西合同歌舞伎 | 菅原伝授手習鑑 | 腰元勝野 |
淀の秋 | 町娘おえん | |||
11 | 大阪歌舞伎座 | 大阪芸術祭参加公演 | 忠臣蔵 | 茶道珍斎/腰元 |
12 | 八千代劇場 | 花形顔見世興行 | 修善寺物語 | 楓 |
勧進帳 | 源義経 | |||
播州合邦辻 | 浅香姫 |
10月南座公演筋書 |