漂う孤独感

 市川雷蔵という役者は、それこそ時代物から現代物まで、まったく違う役柄を見事に演じた人です。しかも与えられた役に、自分なりの味つけ、肉づけをすることを忘れなかった。『弁天小僧』のあとも、『ぼんち』(昭和35=市川崑監督)『切られ与三郎』(昭和35=伊藤大輔監督)『沓掛時次郎』(昭和36=池広一夫監督)『破戒』(昭和37=市川崑監督)とキャメラを回しましたが、雷ちゃんは一本一本違った役柄を立派に演じ切っている。別の言い方をすれば、市川雷蔵という役者は幸せだった。いろいろな役ができたことと同時に、これほど脚本と監督に恵まれた役者いないんじゃないでしょうか。

 『破戒』は島崎藤村の原作ですが、とにかく現場での苦労が多かった。撮影中に雪がなくなり、仕方なくオープンセットに雪を降らしたりで、画面に現れない苦労がとても多いシャシンでした。雷ちゃん自身も、いろいろな苦労があったようです。雷ちゃんの演じる丑松が、林の中をさまようところがありますね。『破戒』の中でももっとも重要なシーンですが、この撮影の翌日、雷ちゃんは東京で婚約発表の予定だった。このシーンは京都でのセット撮影ですから、東京に戻るためには、十一時少し前に京都を出る最終の夜行列車に乗らなければならない。東京に着くのは翌朝の七時過ぎです。しかし大事な芝居ですから、撮影は長引くばかり。あとからお付きの人に聞いたのですが、それでも雷ちゃんは「監督に言わないでくれ」とこらえていたそうです。

 はっきり申し上げて、雷ちゃんというのは大変とっつきにくい人でした。こちらから話しかければ乗ってくるが、向こうから「あのね」と声をかけてくる人ではない。へつらわない、お上手を言わない、嫌なことは嫌とはっきり言う人でしたから、少々誤解されて、近寄りがたいというイメージがあったかもしれません。考え考え物を言う人で、いつもひとりで悩んでいるように見えた。個人的に悩みを打ち明けられるような友人はいなかったようで、孤独な感じを常に漂わせていましたね。でも、その孤独感こそが市川雷蔵だとぼくは思う。そういう役柄が多かったということではなくて、雷ちゃん自身が決して自分の意志を捨てない、孤立を恐れない人だったということです。

洛北・鷹ケ峰の宮川家菩提寺、西向寺