新しい時代劇を目指してすすむ
市川雷蔵さん

の横顔

 市川雷蔵さんは、幼い頃は身体が弱かった。月に一週間は医者の世話になるので、誰もが嫌がる医院がまるで遊びに行くように好きになった。生まれて三ヶ月目で、嘉男坊やは彼の父の姉の夫にあたる人・市川九団次さんに養子にいったが、幼い嘉男坊やの瞳には区別がつけられなかった。芸能人の家門とて嘉男少年も、初舞台を踏んだ。中村扇雀や嵐鯉昇(北上弥太郎)、林成年も当時舞台を勤めていた。

 終戦後の初舞台は、大阪歌舞伎座にて三代目市川莚蔵を襲名したことだ。ここで彼の芸はグングン伸びて名プロデューサー武智氏に認められ、その骨折りで関西の名門で大立者の市川寿海へ再び養子入りして、晴れて七代目市川雷蔵を名のったのだ。

(シネマ富士57年11月号)