日本の大映たれ  

 

 先日、雑誌社の人から、貴方は大分鼻ッ柱が強いと云う話を聞くが、そう云った批評を自分ではどう思うか、と云う様な事を聞かれました。それは、大体、自分の感じた事を率直に述べ、論旨が徹底しない場合は納得が行く迄訊くと云う性質なので、人に依っては鼻ッ柱が強イ様に取れるのかもしれません。併し、私としてはそうする事が相手にも自分に対しても、最も誠実であると存じていますからです。

 例えば、近頃の大映の作品は一向に面白くないが、出演者としてどう思うか、と聞かれた場合も躊躇しないで、左の様に自分の意見を述べるのです。

 先ず、大映作品の面白くないといわれる理由は、娯楽作品に対する重要視さが足りないのが一つの理由だと思います。これは大映に限らず、他社にもその傾向が見られるのですが、娯楽作品こそ最良の企画、スタッフ、キャストで、しかも製作費を効果的に注ぎ込まなければ、観客の満足を得る事は難しいと思います。『地上最大のショウ』とか、或いは『ノートルダムの僵僂男』などを見ますとつくづくそれを感じます。勿論、これ等は世界市場を対象に撮影されたものなので、比較するのは無理な事でしょうが、娯楽作品にも文芸作品以上の真剣さと努力とを惜しまずに費やさなければならないと思います。

 
 又、撮影前に於ける劇の脚本作成上に於いても関係者に不備な点があるのではないでしょうか。よくても悪くても映画の根本は脚本にあるものですが、俳優がその作品の執筆に当った脚本家の顔も知らないと云う事などは、今の機構ではそれ程不思議な事ではありません。余り関係のない方達が本読みに列席する事はあっても、脚本について、脚本家、演出家や、主演俳優が、意向を聞いたり、又自分の希望を述べたり、そう云う打ち合せをして撮影に入ると云う様な機会は特殊なグループを除いては今の所は、望めそうにありません。スタッフの方達が、多忙であるからと云う理由だけではなく、そう云う事の出来ない様な機構になっているという感じです。

 俳優と云うものは、いや俳優に限らないでしょうが、どんな作品に出る時でも大きな希望と云うものを持って臨みます。その希望を述べる機会もないし、スタッフの方達と討論して成長して行くと云う機会が撮影前に全然持たれぬままにせわしくクランクインする状態です。

 見て面白くてしかも、感銘を受ける映画は大変数が少ないものです。丁度、そう云った人間が少ない如く、映画としても最も難しい事なのでしょう。

 我々は世界の大映である前に、先ず日本の大映である、しっかりした地盤を築きたいと痛感している次第です。