優ベストテン 第九位(得点34点)

市川雷蔵

同じく三十代で夭折した美男俳優ということで、ジェラール・フィリップにも比せられる市川雷蔵は、フィリップ以上の妖気を秘めた稀代の名優である。

歌舞伎界から映画に転じ、翌年には『新・平家物語』で清盛を演じた雷蔵は、若くして大物の器量と品格を兼ね備えていた。『忠臣蔵』では戦後最高と賞賛された浅野内匠頭、『大菩薩峠』ではこれまた絶品の机竜之助、また弁天小僧、織田信長と、続々と時代劇を代表するキャラクターをこなす一方で、『炎上』では国宝寺院に放火する若き僧を絶妙に演じ男優賞を独占する−と、これらがすべて二十代の業績なのだから驚く。

三十を越えてから死までの八年間はより充実している。『破戒』では差別に苦悩する教師を力演。原作者、柴田錬三郎も絶賛した『斬る』や、三島由紀夫原作の『剣』では、その死の美学をきわめ、それは雷蔵最大のヒットシリーズ『眠狂四郎』のニヒリズムへと昇華してゆく。この虚無の剣士・狂四郎は雷蔵の“きわめつけ”として、その死と共に永遠のキャラクターとなった。他にも『忍びの者』シリーズなど、雷蔵の短すぎる映画歴は語り尽くせない魅力にあふれている。

市川雷蔵の明るさ      逢坂剛

実は文藝春秋からアンケートが来るまで、市川雷蔵のことなど思い出しもしなかった。

ところが好きな俳優を考える段になって、真っ先に浮かんできたのが雷蔵の名前である。雷蔵が生きている間、ファンであったという記憶はないし、そもそもそれほど多くの出演作品を見たわけではない。にもかかわらず雷蔵の名前が頭に浮かんできたのは、どういうわけだろう。

わたしは昔から大映の作品に縁があった。菅原謙次(当時は謙二)と若尾文子のコンビによる恋愛もの、柔道ものをたくさん見たし、女優では山本富士子が好きだった。悪役として名を売った高松英郎がひいきで、これは今も変らない。メジャーになっていささか迫力が減じたのは残念だが・・・・。また座頭市シリーズも欠かさず見た。これはできのよい西部劇と同じで、殺陣に凝っていればいるほど面白さが倍増した。とくに『座頭市喧嘩旅』は出色のできだったと思う。

しかしよく考えると、なぜか雷蔵の映画はあまり浮かんで来ない。陸軍中野学校シリーズ、殺し屋シリーズもそれなりに面白かったが、雷蔵の本領を発揮した作品とはいえない。眠狂四郎といえども、さほどのインパクトを感じなかった。では何がわたしをして雷蔵を忘れがたい俳優にしたのか。

その一つは『忍びの者』である。この作品はそれまでの殻を打ち破って、斬新なイメージと映像技術を時代劇の世界に持ち込んだ。ことにスピード感は抜群で、白黒の画面もその効果をいっそう高めている。先日テレビ放映で再会してなつかしさに胸を打たれた。余談ながら、『忍びの者』はテレビドラマとしても制作され、品川隆二の好演ですぐれた作品になった。

結局のところ、雷蔵の作品でもっとも印象に残っているのは、田中徳三の初期監督作品『濡れ髪三度笠』である。これは雷蔵には珍しいコミカルな道中もので、当時好評を博したために『浮かれ三度笠』など、何本かのシリーズで製作されたと記憶している。雷蔵はこの映画で、実に軽妙洒脱な演技を見せた。その意味で彼にとって、画期的な作品だったのではないかと思う。わたしはもちろん個人としての雷蔵を知らないが、あの映画を見たかぎりではユーモアの分かる、暖かい人柄だったに違いないと確信している。

映画ではそれとは正反対の、深刻な重苦しい役柄が多かったので、おそらく雷蔵はそうしたイメージでしか記憶されていないだろう。わたしの印象では、雷蔵の本領はむしろ三度笠シリーズに見られる、明るいのびのびとした役柄にあったように思える。それほどあのシリーズの雷蔵は生きいきとしていた。役者にとって自分と正反対の役柄を演じることは、それなりにやりがいのある仕事であろう。しかしわたしとしては雷蔵が元気なうちに、明るくコミカルな作品をもっとたくさん出演してほしかった。

それが心残りで、いつまでも雷蔵の名前が頭から消えないのかもしれない。(1989年6月10日発行文春文庫ビジュアル版「日本映画ベスト150-大アンケートによる-より」)