撮影の場合も、セットやオープンセット、それにロケとその撮影する場所がそれぞれ違いますが、@の写真はセット内での撮影の模様です。これは「遊太郎巷談」の時のもので、雷蔵さんの所まで延びたマイク、その演技をとらえるカメラ、そして通称「お二階さん」と呼ばれる高い処のライト、これらが一つになって撮影は進められて行きます。

 Aの写真の様にロケ(琵琶湖)の場合も同じです。ライトのかわりに、リフレクターが使用されますが、録音の方はロケの場合、アフレコと云って、後から入れる場合が多いですが、この「人肌孔雀」の場合の様に、写真で御覧のとおり、同時録音が行われました。

 又、Bの写真の様な撮影も考えられます。「千羽鶴秘帖」の時、雷蔵さんが凧に乗っていて、その糸が切れてくるくるまわりながら落ちて行く場面では、始めに写真の様な形で撮影されますが、くるくる廻る所では、円形の台の上に凧の上にしばられたまま乗せて、下の台を廻すのです。まったく楽ではないですねェ。これはオープンセットです。

 

 時代劇ならではの立廻りの場面も、殺陣師が二人−三人はついて、主演者と脇役にそれぞれ殺陣をつけます。その間、カメラはたえずテストを行います。上の写真は「お嬢吉三」の立廻りです。雷蔵さんの立っている所にあるレールは、カメラがこれに乗って移動しながら、その立廻りを撮影する様になっております。

 この様にお話してまいりましたが、映画の仕事にはまだまだ出来上るまで並大抵の苦労ではありません。宣伝、スチールの撮影も前もって写すだけに、ストーリーの全場面を写さなければなりません。又、主演者が一人しか出番のない時で、しかも遠方までロケに出なければならない時でも、スタッフは二十人から三十人は必要です。又、「炎上」の時の金閣寺のセットは実物大に組んで、その美しい姿を大覚寺の池に映しておりましたが、このセットは、そのまま保存しても三年間保証つきだけに、大覚寺でそのまま残してほしいと云われたそうですが、これが焼けなければ物語にならず、涙をのんで焼いてしまったと云うお話が残っております。

 そして、カメラ、ライト、大道具、小道具が、右往左往している間でも、出演者達はたえず演技の研究を重ね、テストをくり返しております。映画は総合芸術です。一本の糸でも乱れると、その仕事は完全にストップしてしまいます。スタッフもキャストも、その仕事の流れの中で、たえず良い映画を作り出す事にお互いに努力しているのです。(森本房太郎)

「映画の出来るまで」は今回をもちまして終了致しました。三回にわたってこの原稿をお寄せ下さいました森本氏にここで深くお礼申し上げます。又、御愛読下さいました皆様にも、深くお礼申し上げます。

 この映画の出来るまでをお読み下さいまして、雷蔵さんのお仕事に対し、少しでも理解していただければ、大変嬉しく存じます。