「ヨン様」と「雷様」
レターの三枚目



 私のまわりは、大抵が「ヨン様」ファンである。かくいう私も、その一人だ。

 最初は、婦人がただった。カミさんが夢中でねえ、と皆、苦笑していたのである。暮れに「冬のソナタ」を見て、にわかに、はまってしまった。ビデオで一気に見て、風を引いた者がいる。たぶん泣いたためだろう。

 「冬のソナタ」は、何より物語が面白い。あの映画に流れている、ゆったりとした時間が心地よい。助平ったらしくないのが、よい。

 かくて夫婦で「ヨン様」命、である。いい年をして、と目くじらを立てる者もいるけれど、昔から芸能の世界は、熱狂的な追っかけで支えられていたのだ。いい年をした者が夢中になるほどでなくては、スターとはいえまい。ところで、「ヨン様」と「雷様」は誕生日が同じ、と耳にしたけれど、本当なのだろうか。雷様は、ゴロゴロと鳴って、人のへそをねらうやつでなく、往年の映画スター市川雷蔵の愛称である。雷蔵は、八月二十九日に生まれた。

 亀崎章雄という。生後六カ月で、歌舞伎役者の市川九団次の養子となった。竹内嘉男と改名。十五歳で舞台に。芸名、市川莚蔵。若手だけの、いわゆる武智歌舞伎で認められる。二十歳、市川寿海の養子となる。太田吉哉と改名。同時に、八代目市川雷蔵を襲名。二十三歳、映画界に入る。デビュー作は、『花の白虎隊』、勝新太郎もこの映画でデビューした。私は小学校五年生の時、学年動員で見た(学校が勧めた理由は不明。まさか白虎隊精神を奨励したわけではあるまい)。

 以来、ずっと雷蔵映画を見てきたが、この人の良さは、助平ったらしくないことと、声の美しさである。心の奥底に響く、まことに気持ちのよい口跡である。

 雷様はファンが奉った愛称だが、ファンは昔から女性が多く、必ずしも若い人だけではない。今年はデビューして、五十一年になる。

 私は雷様の自筆原稿を見たことがある。伊東屋の赤い格子の四百字原稿用紙に、万年筆で実にていねいに書かれていた。「婦人公論」の原稿である。原稿では「わが好色ばなし」とあり、更に「わが好色論」と直されている。校正の段階で再度改めて、前記の題で掲載されたようだ。『好色一代男』出演に当って書かれたもので、雷蔵によれば、一代男の好色の好は、風流の意味で、色は、エロティックではなく、モダンのこと。つまり、通人である。

 ヨン様や雷様の魅力も、そんなところにあると考えて間違いでなく、どちらのファンも好色の徒といってよい。雷様は眼鏡と背広が大変似合い、「冬のソナタ」にぴったりだったが、三十七歳で逝ってしまった。告別式に雷rが鳴ったという。(初出「日本経済新聞」02/02/05“レターの三枚目”)