溝口さんは俳優任せ

大宅: いま何にかかっていますか?

雷蔵: 柳生連也斎です。五味康祐先生原作の・・・

大宅: 役は。

雷蔵: その連也斎です。

大宅: あなたは硬軟両面というとこですな。「新平家」の清盛で、大体その面は卒業されたでしょう。

雷蔵: そうですな。あれでいちおう自信というか、映画に対して、自分がいけるという確信はもてましたけどね。

大宅氏と大いに語る市川雷蔵さん

大宅: 溝口さんのようなきびしい方に、何年目かに一ぺんかかるのも必要じゃないですか?

雷蔵: 何年目に一ぺんはアカンです。少なくとも一年のうちに三べんくらいかからんとタガがゆるんできます。安易なものになれると、しまったものをやれ、といわれたときに、なにかもうひとつピントが合ってこないですな。

大宅: 小説家でもそうですね、娯楽ものばかり書いているとラクはラクですけれどね。

雷蔵: そこが映画のむずかしいところですね。

大宅: 武智君のきびしさと、溝口さんのきびしさはどう違う?

雷蔵: 武智さんの場合は、たとえば「なにがなにしてなんとやら」というとき、「なにが」「なにして」「なんとやら」と、ひとつづつ上げる音階から全部自分で教えるわけです。

大宅: やっぱり自分の型なりイメージをもってるわけですね。

雷蔵: 溝口監督は演技というものを、手とり足とり教えません。俳優に演じさせて自分が批判して、よりよいものを引出す。自分の考えとその俳優自体の考えをまぜ合わしてつくり出すわけですから。

大宅: 同じ社会情勢から出て来ても、例えば扇雀のような人とあなたとは違うと思いますね。扇雀の場合はいわゆる名門育ち、あなたの生活環境は、いろいろ変化があったときいていますが、会った印象では、あなたはいたっておおらかで、モダンな感じだ。カブキの伝統の中で育った人のようでないですね。

雷蔵: そうかもわかりません。ボクはカブキから映画にいった中では、いちばんカブキ的でなくて、映画俳優に適しているといわれたけれども・・・。それはわたしのカブキにいる間の経歴が、扇雀さんにしても、鶴之助君にしても、ほかの方に比べてカブキにはあまりいませんからね。八年間か九年間しか舞台に立っていません。扇雀君や鶴之助君は、カブキの舞台で相当に役をしているし、カブキ的な演技というものになれている。カブキを研究もし、いろんな役もし、非常に苦労しましたからね。ボクの場合は、映画に入るニ、三年前につくし会、それから武智カブキができて、あのときと、三回出まして、カブキの役らしい役をしたわけです。カブキの中にはいるものの、恵まれてなかったというか、カブキにそまっていないわけです。